5月(2016年)の出来事 家探し in ライプツィヒ


ライプツィヒの家探し中に出会った子。

毎度久しぶりの更新になってしまっていますが、今回は2016年の5月(1年前!!)の出来事について思い出して書こうと思います。

4月のMDR 放送合唱団のオーディションを経て何とか合格できたものの、次の山場はライプツィヒでの家探しです。
日本では実家にのほほんと暮らし、ハンブルク内では1度引っ越しましたが同じ市内だったため、今思い返せばまだ楽な方だったのですがが(それでも当時はなかなか条件に合うところが見つからなくて20件程見学しギリギリまで見つからなく大変な思いをしましたが・・・。)、今回は北ドイツから東ドイツへ一人での引越し、話が違います。
ハンブルクからライプツィヒへはICE(ドイツの新幹線)で3時間半と離れているため、見学の予約も、数日間に一気になるべく無駄なく詰め込み、ホテル滞在をして探しました。一回の滞在で見つけたかったのですが、そう甘くはなく、結局2回ライプツィヒに赴き、あちこち探し回りました。
まだ全くライプツィヒの立地がわからず、街の中で迷子になり、予約の時間にたどり着けない物件があったり、遅れを伝える電話をするも電波が悪く相手の声がほとんど聞こえなく、相手にキレられもう2度と電話に出てもらえなかったり(でもこんな事ですぐキレるドイツ人とは関わらなくて幸いでしたが。)、アルコール中毒の人がフラフラしている地区(当時はどこの地区が治安が良いのか悪いのか良くわからなかったので)、犬のウ⚪︎チが道端にゴロゴロ落ちている地区(笑)、はたまたマーラーが昔住んでいてそこで交響曲1番を作曲した家の間隣の物件、世界的にも有名な動物園の近くの物件などなど、とにかく物件提供者とコンタクトが取れて見学が予約できたところは手当り次第回りました。
1度目の家探し滞在で決まらなかった時は凹み、2度目の滞在の時には見つからなかったらどうしようという焦りの気持ちが大きく、右も左もわからない、誰も知り合いのいない新しい土地で道端で泣きそうになりながら(泣きませんでしたが・・・もしや、、、心臓に毛でも生えてきたのでしょうか!笑)、神様に必死に祈りながらとにかく足が棒になるまで探し回りました。その割にはあちらこちらで見つける興味のある風景を写メに収める元気はあったようです。が、かなり疲労していたのと頭がテンパっていたのもあって道中、手を滑らせて石畳の路上に携帯を落とし、見事に画面がホラー映画のような有様に。泣きっ面に蜂状態でした。苦笑

家探し中の物件のひとつが、マーラーが住んでいた家の間隣でした。
因みにマーラーはここで交響曲1番を作曲したそうです。


そして、最後の最後で幸いにも職場まで路面電車で5駅目(乗車時間8分)ドア・トゥー・ドアで15分で行ける、ライプツィヒで一番治安が良いとされていて道端がかなり綺麗な地区、そして家具付きの物件に決めました。(ちなみにバッハでお馴染みトーマス教会まで徒歩23分。)
個人的に貸し出している物件でしたが、大家さんの奥様は日本に旅行に来た事もあって日本の文化に興味があるドイツ人で、彼女自身バイオリンも習っていて音楽に理解のある方、そして可愛い3人のお子さんがいて、8歳の女の子は歌を習っている、という事だったので、安心して契約することができました。
ただ、バスタブがなくシャワールームのみ。という事は日本人の私にとってはとても痛い、、、!!のですが、また近い将来引越しをすることになると思うので、その時は必ずバスタブのある物件にしたいと思います。
まずは物件が見つかって神様に感謝でした。

来月はいよいよお引越し、北から東へ大移動です。



家探し期間中、ハンブルクの道端で30センチ近くまで飛んできてくれたRotkehlchen。
近づいても全く逃げようとせず、そのまま数分間チラチラ私の事を見つめてくれ、私のささくれた心を癒してくれたのでした。(以前紹介しましたが、とても綺麗にさえずる鳥なので、参考までに以下に動画もアップします。Youtubeより。)


4月(2016年)の出来事 その② 〜MDR放送合唱団のオーディション〜

久しぶりのブログです。
忙しさに身を任せっぱなして、気がつけばもう約1年も前の出来事になってしまいます・・・!
次はいつ書けるのかしら、、、といったところですが、まずは4月後半編です。
これは私の人生を大きく変える一つの分岐点になった出来事です。

4月の修了試験が終わった次の週、バッハの街ライプツィヒまでMDR Rundfunkchor(中央ドイツ放送合唱団)の契約団員の為のオーディションを受けに行きました。
5月頭には完全帰国する予定でいましたが、たまたまインターネットでこのオーディションの事を知り、せっかくなのでドイツの最後の記念にと、音源と履歴書を送ったところ、幸い書類と音源審査が通り、オーディションの招待状が手元に届いていました。
ハンブルクからICE(ドイツの新幹線)で片道約3時間半。ライプツィヒは数年前に1週間だけ夏季のマスタークラスを受講した事がありましたが、当時はまさかオーディションを受けにまたこの街にやってくるとは思ってもいませんでした。でも何より、交通費を出してもらえるという事もあって(動機が不純・・・?)、時期的にも初春だったので、車窓からは黄色のお花畑が広がっていて、緊張と小旅ができる嬉しさが入り混じった気持ちでいました。


ライプツィヒ中央駅に到着して向かった先は、駅を出ると離れていてもすぐ目に飛び込んでくる東京のビル並みに聳え立つMDR放送局のビル。久しぶりのこれだけの高さのビルに、私の気持ちはもう怯む(ひるむ)ばかりでした。集合は1時15分。書類と音源選考を通過した歌手たちが計7人ドイツ、スペイン、韓国、インドと様々な国から集まっていました。受付を済ませ、発声するお部屋に案内して頂き、心の底では、「あぁ、もうまた審査される・・・」と思いながらも、せっかくライプツィヒに来れたのだからとにかく思い切って歌ってこようと心に決め、オーディションに臨みました。
オーディションは課題の独唱曲と合唱曲、自由曲と計10曲ほど用意しなければならなかったのですが、まず1次審査で課題の中から自選の曲をそれぞれ歌いました。オーディションのChorsaal(合唱団の練習所) に足を踏み入れるとそこにはざっと40人程の人たちが・・・。常任指揮者とMDR放送合唱団の団員の方々でした。まぁ皆お揃いで・・・全員が審査員です・・・。心の底で「こんなに大勢いるの?!聞いてない。。。」と正直、お辞儀してそのままくるっと背を向けて帰りたい心境でしたが、まずは名前と歌う曲名を言い、演奏しました。1曲目を歌い終えて最初に感じたのは、合唱団専属のピアニストが伴奏してくださっていたのですが、素晴らしいピアニストだということ。歌い手の呼吸や音楽の流れを止めずにかつ伸び伸び歌わせてくれるピアニストでした。
膝が震える程緊張していたので1曲目を歌い終えると、もうホールから出たい、という気持ちで一杯だったのですが、次はこれ歌ってください、と指定された合唱曲の中から1曲を歌うことに。シェーンベルクの作品でしたが、私の心はもうここにあらずという感じで歌っていたと思います。歌唱後、指揮者から○小説目と○小説目はこう歌ってみてください、と音楽的な指示があり、再度歌い、それが終わると、恐れていた新曲視唱の楽譜を手渡されました。しかし歌っていく中でホールの雰囲気にも慣れてきて、思いの外落ちついて歌い始められました。このまま無事故で新曲視唱を終われるかな、と思った矢先、なんと最後の着地の音が1音ずれて着地。オチがそれ?と言わんばかりの着地だったため、団員さんにどっと笑われ、ピアニストから「あ〜!最後のギリギリまでパーフェクトだったのに!」と・・・。
やっぱり無事故では終わらないのが新曲視唱だと改めて痛感。再度歌い直し、無事合っている音に着地できました。新曲視唱を終えると、一旦試験会場から出されました。ビルの受付前が待機場だったのですが、どの歌手も緊張の様子でしたが、1次の出来を皆でああでもない、こうでもない、と話していました。皆、よく喋るな〜と感心。かなり長いこと待たされ、指揮者と合唱団員の一人が部屋から出てきて一人一人名前を呼び、1次の結果をその場で伝えられました。幸い、私は2次審査に進む事ができましたが、指揮者から新たな注文、「君はソロの曲はソリストらしくしっかり歌っていたけど、合唱曲になると途端に声を抜いて歌っていたから、合唱曲もソロ曲と同様に次は歌ってみてね。」私は、内心、「あ、ソロのように歌って良いんですか!?」と驚きましたが、逆に少しホッとしました。というのも、合唱で歌う際、どうしても周りに合わせなくては、とか声が飛び出してはいけない、とか子音を揃えなくては、とか音程を・・・とか考えすぎるとどんどん蚊が鳴く様な声になってしまい、おまけに発声にとても悩むということを今まで何度か経験してきたので、ソロのように歌って良いなら是非!という感じでした。
2次審査に残ったのは結局私ともう1人のインド人のソプラノ。実は彼女、1年前のグラーツでのコンクールに参加していた時に同じく参加していて、当時は話したことはありませんでしたが、音楽の世界はヨーロッパでも狭いものなのね、とつくづく感じました。
とても感じの良い歌手だったので、次は何歌う?とかどうだった?とか話しながら待機していました。
2次審査は私の場合、自分で選曲して良いと言われたので、ヘンデル「アルチーナ」のモルガーナのアリアを選曲しました。試験場に入ってから演奏前に「もう一度自分の名前を言った方が良いですか?」と聞くと、団員が大合唱で「Nein〜!!!(いいえ〜!)」。そんなに揃って大きく否定しなくても・・・。
ヘンデルは前奏、間奏、後奏が長く、オーディションで演奏するには長過ぎだったので、ピアニストに「長いからここからここをカットして、ここに飛んでもらえますか?」と伺うと、「なんで?僕全部弾くよ〜!」とノリノリだったので、結局全部弾いてもらう事に。しかしノリノリで弾いて下さったお陰でとても歌いやすく、緊張の真っ只中ではありましたが伸び伸び歌わせてもらいました。ピアニストが合いの手をどのように差し出してくださるによって、私の場合大きな影響を受けます。良いピアニストの力は大きいです。
無事になんとか歌い終わり、また新曲視唱?とキョロキョロと挙動不審になっていましたが、今度は指揮者がピアノのところにトコトコとやってきて、彼がピアノで弾く色々な音階やフレーズを審査するものでした。次から次に違う音形を歌わなくてはいけませんでしたが、緊張でハイテンションになっていたお陰で、ハイF(モーツァルト作曲"魔笛"の夜の女王のアリアに出てくる最高音のファ)を通り越して、ハイGis(高音ソのシャープ)までヒョイ、と声が出ました、というか出てしまった、と言ったほうが正解かもしれません。自分でもビックリ。
「これ以上高い音は必要ないね。」と指揮者から言われ、低音も試され、「君は3オクターブ半は持ってるね。」と言われました。
それについてとっさに出てきた一言が「Schön! (良かった!)」。
もう頭が悪いというかテンパってるというか、、、。また団員さんたちにどっと笑われ・・・でも心の中では(こんな高音が出たのは久々です、・・・たまたまです・・・というか多分今日だけです・・・・。)と連呼していました。練習の時でもよっぽど調子が良い時でないと、この日のようにクリアに超高音までいけないのですが・・・今回は奇跡です。
音形の審査が終わり、また部屋から出されて待機。
これもまた長〜く待たされた後、指揮者と係りの方が出てきて、結果を口頭で告げられ、「おめでとうございます!ソプラノ団員としてあなたをお迎えします!」と合格通知を受けました。
オーディション終了時間、夜の7時半過ぎ。長丁場のオーディションでした・・・もう魂が抜けてしまうかと思いましたが、直後にハンブルクの先生に連絡すると、とても喜んでくださいました。しかし正直な所、この結果を指揮者から聞いた時は、嬉しい反面、「受かってしまった・・・どうしよう・・・ということは、5月には日本に帰れない?というかドイツで就職??親に何て言おう。」と不安もグルグルと回っていました。
その不安も全部ひっくるめて色々と考えましたが、せっかく奇跡的に頂けた貴重なチャンス、そして音楽の街ライプツィヒで経験を積めるという事もあって、ここで働く事を決めました。
こういうわけで、2016年の夏、8月8日付でMDR Rundfunkchorと契約させて頂き働き始めることになりました。といっても、最初の1年間はProbejahr(研修期間)として働きます。ドイツではこれが普通なのです。1年、、、長いですね。。。それでも日本人でありながらドイツの放送合唱団という音楽家にとって安定した職場で働くチャンスを頂けた事に感謝しつつ(そして後々聞かされた話ですが、今回の審査は満場一致での合格だったとの事でこれも感謝。これも大きな奇跡・・・)、他にもやりたいこと、やらなければならない事は沢山あるので、色々と熟考しながら進んでいきたいと思っています。
まずやらなければいけない事、そう、それは家探しとお引っ越し。
ハンブルクからライプツィヒへ、人生初のドイツ国内での大移動です・・・。


左、MDRタワーの中に放送合唱団とオーケストラの練習所があります。
右はライプツィヒ大学。


4月の出来事 その① 〜修了コンサート 〜





4月は本当に目紛しい日々でした。
色々と書きたいことがあるので、2回に分けて書かせて頂こうと思います。
今回は"その①"、4月12日に在学していた学校の修了試験がありました。
試験は3つの異なる時代の作品を45分のプログラムを自由に組んで、公開で演奏会をするという形式でした。
今回演奏したい曲がありすぎて選曲に苦戦しましたが、結局パーセル、ヘンデル、ハイドン、シューベルト、メンデルスゾーン、M.レーガー、ツェムリンスキー、L.ボーロンジェ、ヴェルディ、バーバー、N.ローレムと、ドイツ、イタリア、フランス、アメリカと、多種多様なプログラムになってしまいましたが、どれも好きな作品ばかりを選曲しました。自然にテーマは”自然の美しさ”そして ”月” がテーマになった作品が並びました。私の声質にもよるのでしょうが、どうやら私は明るさの中の音楽より月夜のような音楽ほうが好みらしいという事を、プログラムの組んでわかりました。もちろん、私の良さを出すのに外せないコロラトゥーラの明るい曲も数曲入っていますが、4月は修了試験間近に2つの別の本番もあったので、とにかくこの月は気が抜けない時期でもありましたが、それが逆に良かったのか、良い緊張感を保てたまま乗り切れたように思います。しかし、この時期に腰痛が再発。リハーサルまでは痛みと戦いながらでしたが、本番はそんな事もすっかり忘れ(といいますか、ここが痛いとかあそこが痛いとかそんな事言ってる場合ではなく、考えている余裕はありませんでした。)とにかく集中していたように思います。声楽科のZach先生、コレペティの先生方も、最後まで本当に熱心に指導してくださり、お陰様で試験の成績は日本でいう”秀”を頂く事ができました。アンコールは2曲、その中の1曲は日本歌曲、山田耕筰の「からたちの花」を歌わせて頂きました。ハンブルクでお世話になった方々も多く駆けつけてくださり、皆様の温かい“気持ち”に支えられてこれまでの留学生活が送れたのだと、今一度再認識した演奏会でもありました。心から感謝です。終演後は私よりも先生方の方がハイテンションで、「マイ、打ち上げに行こう!今打ち上がらないでいつ打ち上がるの?!」と、そのままコレペティの先生の車でハンブルクの街を少しドライブし、イタリアレストランへ。つくづく本当に愛情深い先生の元で勉強する事ができて幸せでした。

日本に居たころ、大学院時代でさえ、試験は一人15〜20分程度だったと記憶しているので、今回45分 ”試験” という形で演奏したのは人生初でした。勿論とても良い経験でしたが、試験はもうやりたくないと心の底から思った日でもありました。






修了試験のポスター
















2017年 新年ご挨拶

2017年

明けましておめでとうございます!

Frohes neues Jahr !!




昨年はブログに訪れて下さり、また応援して下さりありがとうございました。
昨年はなかなかブログが更新できませんでしたが、生活環境、音楽環境も大きく変わり、気がついたら新年が明けていた、、、というような状態でしたが、今年もマイペースに年々歳は重ねていきますが内にあるものは日々新しく、小さな子供からは純粋な心を忘れないようにと教わり、近い年齢の方々からは良い刺激を受け、年配の方々からは忍耐力と人生を教えて頂き、何よりも良い環境で音楽を続けさせて頂いている事に感謝しつつ、超特急とはいきませんが、鈍行でも前進して行きたいと思います。
今年もどうぞ宜しくお願い致します!



3月(2016年)の出来事 〜憧れの歌手から手紙が届く 〜




3月のある日、ポストに憧れの歌手からのお手紙が届いていました。
モーツァルト歌いでもあるソプラノのエディット・マティスからのお手紙です。去年の夏にリューベックで彼女のマスタークラスを受講しましたが、以前私が送ったご挨拶とお礼のお手紙にわざわざお返事を下さいました。リューベックでのマスタークラスの事も書かれていて、覚えてくださっていて感謝でした。マティス氏の旦那さんは日本通の方で、既に日本に数十回行かれたとの事で、今でもたまにメールを下さいます。この夏に彼らの住むザルツブルクに遊びに来ませんか?とおっしゃって下さいましたが、生憎私はその時期日本にいなくてはならず断念しまいたが、いつかザルツブルクにも訪れるチャンスがあったら良いなと思います。
マティス氏は雲の上の様な存在ですが、リューベックで教えて頂いた事を忘れずに歌っていけたらと思います。

そして、3月の後半にはカイザースラウテルンにあるChrist Gospel Churchというドイツ南西部の町の教会に招待して頂き歌ってきました。ただ、この頃忙しさもあってか腰痛がまた少し再発、4月にはいくつか本番を控えていたので、キャンしなければならないか迷いましたが、次はいつ行けるかわからなかったので、強行突破でICE(ドイツの新幹線)で6時間強の長旅をしてきました。
恐縮にも私が腰痛だという事で、牧師先生(女性アメリカ人の先生でした)のふかふかのベットを貸してくださり、至れり尽くせりで逆になんだか申し訳ないくらいでしたが、とても素敵な時を過ごさせて頂き、何より何とか無事に歌うことができて感謝でした。ハンブルクに戻るまで腰も守られて、これも感謝でした。

往路のシュトゥットゥガルト行きのICE.

乗車チケットとお昼ご飯を持って乗り込みました。

Christ Gospel Church in Kaiserslauternの様子

カイザースラウテルンで素晴らしい空にも出会いました。

帰りのハンブルク・アルトナ行き

行きも帰りもマンハイムで乗り換えました。

牧師先生が帰りに持たせてくれたお手製のチキンサンドイッチ。
帰りのICEの中で食べました。これが忘れられない程の美味しさでした。
もう一度言いますが、本当〜に美味しかった!!