日本では「美白」になる為のものがたくさん売られていますが、ドイツは全くその逆で、皆さん、ガンガン肌を焼いています。白い肌は不健康そうに見えるとか、いかに休暇を楽しんだかをアピールするとかなんとか。確かに、「あぁ、ここにシミが〜・・・」と嘆いているドイツ人にはまだ会ったことがありません。
私が日本にいた頃は、夏になると日焼け止め塗って、日傘して、手袋して、パックして、シミを発見すると落胆していましたが、ドイツで生活をしているとそんなのお構いなしといった感覚になってしまいます。いつか日本に帰国した時の状態を想像すると恐ろしいような気もしますが・・・価値観は国によって色々あるものですね。
さて、また久しぶりの投稿になってしまいましたが、今回からやっと2016年の回想記に入ります。書いている今現在は2016年9月なのですっかり浦島太郎のような状態ですが、良い思い出も沢山あるので少しずつ時差(?)を縮めながら書き進めていけたらと思っています。(マイペースで毎度恐縮です!)
2016年、新しい年を無事に迎え、8ヶ月ぶりに日本に帰国し、1月30日に東京の紀尾井ホールでYMCAオラトリオソサエティーの定期演奏会に出演させて頂きました。
曲目はM.ハイドンとモーツァルトのレクイエムでした。
モーツァルトのレクイエムは特に知られた作品で一般的にも演奏される機会も多いのですが、M.ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟)のレクイエムが演奏されるのは稀で、私自身も初めて歌わせて頂きましたが、この作品も大変興味深い作品でした。モーツァルトとM.ハイドンは当時から多くの親交があったそうで、モーツァルトの書いた手紙にもM.ハイドンが度々登場するという話を聞いた事があります。そんな事もあり、曲の作風も非常に似ていて、演奏の最中、色々な箇所で「あ、そっくり!」と思う箇所が多かった様に思います。同時代に生き、お互い感化されながら作品を世に生み出した二人のレクイエム、一度に演奏できるチャンスはなかなかないので、この点でも非常に勉強になりました。
演奏会当日の東京の天気予報は雪でしたが幸いにも降らず、演奏会後には少し晴れ間も見えて感謝なお天気でした。
オーケストラは新日本フィルハーモニーのメンバーから編成されたオーケストラで、その醸し出す音の風に背中を押される様に、周りのソリストの方々に感化されながら、そしていつも温かく迎えてくださる合唱団の皆様の温かみと気合に満ちた歌声とを背中に感じながら、気持ちを込めて演奏させて頂きました。毎度の事ながら新たな課題も見つけ、また頑張って行かねばと気持ちが引き締まった思いでした。
今回発見したのは、弦楽器の方々の近くで歌っていると非常に歌い易い、という事です。5歳から14歳までヴァイオリンを鈴木メソードで習っていたので、そのこともあるかもしれませんし、素晴らしい音色で弾いて下さるオーケストラの方々の呼吸に合わせられる、という事も大きかったのは明らかですが、弦楽器の音色があると非常に気持ちよく演奏できます。もっと日頃から声楽ばかりではなく、弦楽器や他の楽器の演奏も色々と聴いてみようと思いました。
また当日は多くの知り合いの方々、いつも応援してくださっている方々も会場に駆けつけて下さり、久しぶりの再会もあり、終演後も嬉しい懐かしいひと時でした。
いつもお声をかけてくださるYMCAオラトリオソサエティーの皆様には毎度感謝の気持ちで一杯です。YMCAオラトリオソサエティーの皆様との出会いはかれこれ10年近くになり、お会いする度に家族と再会した様な安堵感があります。
そして1月の寒い中、会場に足を運んで下さったお客様に心から感謝します。
昔、東京少年少女合唱隊で歌っていた頃、指揮者の先生が「良い演奏会とは、お客様と演奏者の両者が一致した時に成り立つものです。お客様と演奏者がそれぞれの三角形だとすると、角で向かい合ったその二つの三角が演奏会会場で一致してダビデの星の様になるんですよ。その時に初めて、良い演奏会は生まれるものなんです。」と仰っていたことを思い出しました。
今回、ダビデの星の様になった演奏会だったと思います。
その後ハンブルクで本番があった為、すぐにドイツに戻らなければなりませんでしたが、ギリギリまで日本食を堪能し、家猫ともストーブの近くでヌクヌクし、「あぁ、日本ってやっぱり素晴らしい国・・・。」という思いを胸に帰路についたのでした。
指揮者の渡辺善忠先生をはじめアルトの小川明子先生、テノールの鏡貴之先生、バリトンの原田圭先生、オルガンの堀井美和子先生と一緒に。 |
当日の演目の楽譜と頂いた贈り物。 |
実家のララ。 シャイな女の子、母の事が大好きです。 |