12月(2016年)の出来事 〜 ラフマニノフ《ヴェスペレ》とライプツィガーカントライ


ライプツィヒ、ローゼンタール公園
散歩中に見た夕暮れ



さて、やっと2016年、12月の回想記です。
この月は、MDR合唱団で働き始めてから5ヶ月目になります!毎日目の前の課題をこなすのに必死で、時間が目にも止まらぬ速さで過ぎ去っていきます。まぁ実際には時間は目に見えませんが、本当にびっくりするくらい早いです。

12月2日に、ライプツィヒのペテロ教会でNachtgesangの演奏会がありました。プログラムはラフマニノフの《ヴェスペレ》。私がMDRで働き始めて一番最初に取り組んだ作品でもあり、思い出深い作品です。本番の演奏はとても神秘的と言いましょうか、まるで異次元にいるようなひと時でした。この作品はラフマニノフの傑作とも言われ、日本では《晩祷》という題がついていますが、土曜の夜から日曜日の朝にかけてロシア正教教会の礼拝で演奏される賛美で、徹夜祷とも言われるそうです。その為、Nachtgesangの夜10時から始まる今回の演奏会にはぴったりの演目でした。
ロシア音楽の独特の重厚感のある響き、どこか哀愁と神秘さを秘めた本当に素晴らしい作品です。この作品を聴くと、ロシアの寒く、どこまでも広がる壮大な大地に一瞬でワープできるような、そんな曲です。
演奏がYoutubeにアップされていますので、以下のリンクからご視聴頂けます。
(私はまわりよりも一段と背が小さいので本当に子供が歌っているようですが、、、これでもヒールを履いております。。。)





この翌日は別の街で同じ演目、そして翌週にはライプツィヒ市内の別の教会で数日かけてこの作品のレコーディングがありました。このレコーディングはかなり体力を要しました。通すだけでもキツいこの作品、何度も何度も撮り直して、お陰で収録後の数日間、頭の中はこの作品のメロディーがリピートしっぱなし。素敵なような悪夢の様な・・・。笑

さて、その後も色々と本番がありバタバタしていましたが、12月17日にライプツィガーカントライ(Leipziger Cantorey)というMDR合唱団員のメンバーで構成された16人程のアンサンブルグループから声をかけていただき、Bad Soodenという街で演奏してきました。
このライプツィガーカントライの指揮者は現トーマス教会の音楽監督であるGotthold Schwarz氏です。何故か知らないうちに私がソロを歌う事に決まってたのようで、これも良い機会だと思い、心して準備しました。このグループはJ.S.バッハの作品は勿論のこと、テレマンやJ.S.バッハ以外のバッハファミリーの作品を中心に演奏しています。
Schwarz氏とは初めて共演させて頂きましたが、練習の時からバッハの曲作り、テンポ感、ドイツ語の子音の捌き方など、細かく指導してくださり、日本人の私にとっては非常に勉強になりました。ただ、彼もとてもご多忙なので、練習は本番直前に1回のみ。もっと勉強させていただきたい、、、と思いましたが、ライプツィガーカントライは年に数回演奏活動をしているようなので、また次回お声をかけていただける事を期待しながらの本番でした。
とにかく、とても楽しい演奏会でした!


本番直前のリハーサル風景。
同僚が知らぬ間に撮ってくれました。

演奏会のプログラム

Leipzigからin Bad Soodenに向かう車内。
片道2時間強でしたが久しぶりの良いお天気で快適でした。





11月(2016年) の出来事 〜 ドヴォルザークとクリスマスソング

9月20日にライプツィヒのゲヴァントハウスでドヴォルザークのレクイエム公演がありました。この時期、色々と考えさせられる事が多かった中、この音楽にとても癒されました。今回の練習も回数が少なかったのですが、この短期間で良くここまで仕上げられると同僚たちにはただただ脱帽・・・
私は毎度のごとくついていくのに必死でしたが、今回は本番を楽しむ事ができました。今回はチェコ人の指揮者でしたが、見ていて飽きない情熱でアグレッシブな指揮、そしてソリストも素晴らしい歌手陣でした。この音楽の中に浸れる事に心から感謝です。
この時期はアドヴェントももうすぐ始まるという事で、皆それぞれクリスマスに向けてクッキーを家庭で焼き始める時期でもありました。

このドヴォルザークの本番前日に同僚とクリスマスクッキーを作る予定にしていたのですが、私は残念ながら参加できなかったのですが、本番直前に皆から手作りクッキーのおすそ分けを頂き、数日前には韓国人の同僚の奥さんお手製キムチを頂き(これは季節に関係ないですね。)、身体と心に素敵なエネルギーを補充できました。

演奏会プログラム




同僚の手作りアドヴェントクッキーのおすそ分け
韓国の同僚の奥さん手作りキムチ



さて、11月下旬にはMDR放送局スタジオでクリスマスソングの撮影・収録がありました。ドイツのクリスマスソングを本場でドイツ人たちと一緒に歌えることは私にとってとても幸せです。特に ”Es ist ein Ros'entsprungen” (エッサイの根から)というドイツの有名なクリスマスの曲を歌った時には全身から感動が溢れ出しそうでした。
しかしそんな中、この日は直前に急遽予定が入ってしまい、本番直前リハーサルのスタジオ入りがギリギリになりそうだったので、仕方なくタクシーを使うことに。感じの良い女性の運転手さんで、短い間でしたが色々とお喋りしながら目的地には無事に定時10分前に到着。
そして運転手さん、「あなたMDR合唱団で歌ってるのね〜!子供の合唱?」


・・・・!!

きちんと「大人の合唱です!」と返答しておきましたが、心底もっと大人な見た目になりたい、、、そう思った今宵でした。タクシーを降りる際も運転手さんから運動会で応援する親御さんのように「頑張ってね〜」とエールをいただきました。
そんな出来事があった後ですが、収録直後スタジオから見えた夕焼けの景色はため息が出るほど美しいものでした。
この日はこれでプラマイゼロです。

MDRラジオ放送局前のクリスマスツリー

収録直後の景色
夜が始まる直前、一瞬の空の色彩です

10月(2016年) の出来事 ライプツィヒ、ドレスデン公演


10月上旬の秋休みがあったのですが、あっという間に終わってしまい再び仕事が始まりました。

休み明け初日、本指揮者前の指導者としてMDRに来たイギリス人の指揮者(初対面) から「あ、君がマイだね〜!」と話しかけられて、あまりにもびっくりして「え、なんで私の名前を知ってるんですか?!」とか「7月から・・・、じゃなかった!8月からここでで働いています。」とかもうタジタジ。しまいには「私は韓国人です。あ!違った!日本人です!」
人生初、まさかの自分の国籍を間違るボケボケ状態。完全に秋休みボケで頭が働いていない状態でした。何故間違えたのか全く意味不明ですが、毎日韓国人の同僚たちと「アンニョン!」と挨拶しているからでしょうか。自分でもあまりのアホさ加減にびっくりしましたが、テンパるとはこうゆう事なのでしょう。すぐ後ろで私のテンパり具合を目撃した同僚は声高らかに爆笑していました・・・。
そしてこの1週間前辺りはお天気が悪く最低気温が5度にも満たない日もあり、急に寒くなりました。職場でも風邪が流行。私も流行りに遅れをとることなくしっかり鼻風邪をひきました。なんだかいやに肩こりが激しいと思っていたら、風邪からくる節々の痛みだったらしく、仕事が再開して3日目あたりから練習中には完全に鼻が詰まり、休憩中に近くの薬局に鼻スプレーを買いに走り、練習中はティッシュ片手にピアニッシモじゃない所を見計らっては鼻をかみの連続でしたが、夜な夜な湯たんぽをぬいぐるみのように抱きかかえながら過ごしていました。
そして数日後の演奏会のソリストを選ぶためのMDR内でのオーディションがあり(微熱と鼻づまりの中でキャンセルするつもりでいたのですが、風邪でもいいからとりあえず歌って。と指揮者から言われ、鼻を赤くしながら歌いました。)、こんな状態でしたが幸いにもソロを歌わせて頂ける事になりました。
この本番、ライプツィヒのPeterskirche (ペテロ教会)のNachtgesangというプロジェクトの演奏会で、なんと開始は夜10時。今回は
Sofia Gubaidulinaという女性作曲家の作品を中心に全て近現代曲でしたが、どの曲も非常に興味深い作品でした。


本番はもちろん緊張もし、細々としたハプニングはあったもののなんとかソロも無事に終えることができました。

そして今回特に印象的だった出来事がありました。この公演の本番直前、指揮者のお父様が2日前に他界されたと知らされました。今回の指揮はラトビア出身の Māris Sirmais氏。彼にとっては故郷ではない国での仕事ですぐには帰国できない状態の中での本番。今夜の音楽をお父様に捧げたいとおっしゃっていました。その言葉の通り、本番の彼の指揮は全身全霊、音楽でお父様を天へ見送っているような指揮でした。そしてこの状況の中でも毅然と振舞う彼の姿からプロフェショナルさを学びました。今回のプロジェクトでは色々な意味で心を打たれる瞬間が何度もあり魂を揺さぶられるような瞬間でした。


ライプツィヒのペテロ教会
後日の新聞に載った演奏会の講評

25行目には私の名前も書いてくださっています


そして10月下旬、3日間連続でドレスデンのゼンパー・オーパーで本番がありました。
本番2日前からドレスデン入りし、先日もNachtgesangの演奏会で演奏したSofia Gubaidulinaの別の作品と毎日戦って(?)いました。(とにかく現代曲なので、譜面上はへんてこりんな記号がウジャウジャ。。。あ、失礼しました。)  Gubaidulina氏ご本人もプローベ (練習) にいらっしゃっていました。御歳85歳!すごいバイタリティーです。
そして、オーケストラは世界的にも有名なシュターツカペレ・ドレスデンで、音も分厚く、何よりソリストも素晴らしい歌手陣でした。久しぶりにずっと聴いていたい、、、と思える声を毎日聴いてたように思います。どうやったらあんな円やかな声になるのだろう。。。羨ましい限りです。10月31日の夜にMDR Kulturでライブ放送されました。


ドレスデンもすっかり秋模様でした
ドレスデン、ゼンパー・オーパーの舞台上から
ドレスデンの街並み、パノラマで。(左がゼンパー・オーパー)


9月(2016年)の出来事 その② エアフルト、ライプツィヒ、ベルリン公演

エアフルト大聖堂


2016年9月12日 エアフルトという街で演奏会がありました。

エアフルトはライプツィヒから南西へバスで1時間45分、ドイツの中央部に位置し、チューリンゲン州の州都です。


エアフルトの街並み

この大型バスで毎回移動します
舞台横からの風景

終演直後

今回はアハヴァ音楽祭での演奏でした。
ロシア音楽、アルメニア音楽、ユダヤ音楽と様々な作品で、MDR団員にとってもほぼ全て初めての作品ばかりでしたが、民俗音楽のメロディーをモチーフにした作品が多く、ユダヤ音楽は日本古来のメロディーや音階を彷彿させる箇所がありとても興味深いものでした。日本チックなメロディーが思い出される箇所に思わず日本の国旗を書いてしまいました。(落書き・・・?)
今回は短いソロを歌わせて頂き (ただし頼まれたのはまさかの本番3日前・・・。)、感謝でしたがオーディションの時よりも更に妙なプレッシャーで、それでも指揮者が (今回はスロヴェニア人の女性の指揮者)、母が子を見守る様な目で見守ってくれていたお陰でなんとか無事に最後まで歌わせて頂き良い経験になりました。



そして9月の中旬には、ライプツィヒのゲヴァントハウスでメンデルスゾーン《パウロ》公演がありました。この作品はMDR合唱団にとって既にレパートリーになっているので、プローベ (練習)が数日しかなく、私にとっては楽譜に穴が空きそうなくらいの集中を要し、本番は緊張で “楽しむ”という余裕が残念ながら殆どありませんでした。手汗もビッショリ。両隣のドイツ人同僚の完璧なドイツ語発音と見事な子音さばきに、ただただついていくのに必死でした。でも非常に勉強にもなりました。次の夜、早速この日の演奏がラジオで流れたので、この放送でやっと音楽を楽しみました。



ゲヴァントハウス大ホール

ゲヴァントハウスのホワイエからの景色。目の前はオペラ劇場です。

ゲヴァントハウスのホワイエ




そして9月下旬にはベルリンフィルハーモニーへ赴き、ベートヴェンのミサソレムニスのCD録音兼コンサートがありました。ベルリン滞在も楽んだ・・・と言いたいところですが、この作品もMDR放送合唱団にとってレパートリーの一つなので、ライプツィヒでの練習は3日のみ、、、難易度高すぎといいますか歌手泣かせの(特にソプラノ)音形でThe ベートーヴェン!といったフレーズに、ソプラノを殺す気ですか、、、!!! と何度と心の中で叫びたくなる作品でした。周りの同僚は既に10回以上歌っている人も大勢いたのですが、私にとっては初めてだったので、短期間で仕上がるのか不安でもう胃に穴があくかと思いましたが、なんとか自分ができる限りの事は発揮できたかなと思います。周りの同僚達が毎回励ましてくれたお陰です。
この作品、合唱はかなりの労力が必要なため、いちいち楽曲間で一旦座って少し休憩をとりましたが、それがないと、一曲ごとにめまいでぶっ倒れそうになります。ソロ以上に合唱って本当に大変、と働き始めて約2ヶ月、今更ながら気づく私でありました。笑

Credoの前で一旦着席休憩 (左上の書き込み)

本番当日ベルリンまで
ライプツィヒからバスで2時間半移動、終演後は速攻ライプツィヒへ帰るとあって、当日はずっとバタバタしていましたが、ベルリンフィルハーモニーの舞台裏のカフェテリアは以外と安くて美味しいものがあり少しばかり楽しみました。そして今の職場には割りと年齢の近い歌手もたくさんいて、ドイツ人、スペイン人、韓国人と帰りのバスの中はまるで修学旅行のようなノリで帰ってきました。でもライプツィヒに到着したのは夜中の12時過ぎ。皆揃ってあくびしっぱなしでた・・・。

ベルリンフィルハーモニー大ホール

 
終演直後



9月(2016年)の出来事 その① バーゼル公演


バーゼル大聖堂のステンドグラス
MDRの同僚と練習直前の一枚

今回は2016年9月の回想記です。
MDRでの仕事も始まり、初のマクデブルクとナウムブルクでの公演も無事に終え、私にとってMDRで初めての演奏旅行、客演でのスイス  バーゼルへの演奏旅行でした。3泊4日、
バーゼルはスイスの北西部、フランス、ドイツ、スイスの国境に接している都市です。
スイスとバーゼルの旗(中央)
バーゼルの旗はとんがり帽子の様なデザインで街の至る所でこのシンボルが見られました。
ライプツィヒからICE(ドイツの新幹線)で懐かしのフライブルク(数年前に1ヶ月半だけこの街にいました。)を通過し、6時間の長旅でした。同僚と話していたらあっという間の6時間でしたが皆各々喋り通し。それでもプローベは皆勢いよく歌い、周りの同僚の喉の強さには脱帽でした。
次の日の朝ゲネプロ(ゲネラルプローベ:本番と同様に通してリハーサルすること)を終え、その日の夜と翌日にバーゼル大聖堂で本番でした。

ブルックナーのMesse-eMollは、初めて歌わせていただく作品ですが、アカペラ部分も多くハーモニーが充実した作品です。指揮者はMarek Janowski 、オーケストラはSinfonieorchester Baselでした。休憩中にオーケストラの団員から韓国人ですか?と話しかけられましたが、日本人だと伝えると、今まで仕事に行ったことのある日本の都市名をまるでしりとりゲームの様に次から次へと教えてくれ、気さくな団員さんでした。
空き時間も割とあったので、何をしようかなと考えていたところ、同僚が声をかけてくれたので美術館に行くことに。8月で夏真っ盛り、そして大きな川(ライン川)があるということで、多くの同僚はなんと水着持参。自由時間に川で泳ぐ&日焼けをするそうです。
私は毎度本番前は体力と声を温存しておかなくては、といつも5割程度のエネルギーで本番までは過ごしていましたが、ドイツ人恐るべし・・・。
逆に同僚から、なんでマイ水着持ってきてないの?!とまで言われ、何故と言われましても、、、という感じでした。


街の中心を流れるライン川で泳ぐ人びと。
川の流れが結構早く、泳いでるというよりは流されているという感じでしたが。笑


そして美味しいものを色々と食べたい、と思いましたがなんせここは世界で一番物価の高いスイス。お昼に外食をしようものなら軽く日本円で2千円は超えてしまいました・・・何を買うにも食べるにも勇気がいりました。

スイスで働くのであればまた話は別ですが、ドイツから来た私たちにとっては全てが高く感じました。

空き時間にはバーゼル大聖堂の塔に登り、バーゼルの街を一望。街で偶然知り合ったトルコ人とスイス人が演奏会に聴きにきて下さったり、面白い出会いもありました。

本番はかなり緊張しましたが、なんとか無事に終演。大聖堂の中での特別な残響の中での演奏と、そして世界的な指揮者と歌えた事も非常に良い経験でした。


バーゼル大聖堂のステンドグラス
ここにもバーゼルのマークが。見つけられましたか??






このステンドグラスは貫禄がありました。


バーゼル大聖堂


リハーサル風景
楽屋
楽屋風景
楽屋からの景色
屋根の模様が素敵でした


楽屋の壁には古い壁画も。
中央にはバーゼルのマーク
ドアに貼られたMDR合唱団舞台入り口と書かれた紙


バーゼル大聖堂の中庭



中庭から。
右の大きな丸いガラス窓が先ほどの貫禄のキリストのステンドグラスの位置です


中庭の回廊


床にはこんなものまで。お墓な様な気がしますが。。。




空と屋根とのコントラストに魅了されました








細部まで素敵な細工が施されていて思わずタイムスリップしたかの様な空間でした。
大聖堂の塔の上から


大聖堂は真上から見ると十字になっています




本番の照明


バーゼル旧市庁舎





















ここにもバーゼルのマークがありました。