残すところ大晦日も残り5時間。
そんな中ですが、マイペースに前回のベルギー旅行の思い出に引き続いて、今回はアムステルダム観光の回想記を書かせて頂きます。8月のブログ、最終回です。
アムステルダム散策中に見つけた葡萄 |
ブリュッセル滞在の後、アムステルダムへ例のタリスで戻り1泊しました。
アムステルダム観光の目的は主に美術館巡りだったので、宿泊先はアムステルダム国立美術館とゴッホ美術館に歩いて行けるホテルを予約ました。
チェックインの時間よりも少し早くホテルに到着し荷物を預け、歩いてゴッホ美術館へ。
ゴッホ美術館に着くと・・・、入館口にまさかの長蛇の列が・・・。
最低1時間は並ばないといけないとのことで、私たちも時間がなかったため、どうしようかと話していたら、見ず知らずの日本人の男性から、インターネットでチケットを予約するとスムーズですよ、と教えてもらい、Wifiの飛んでいるホテルへ一旦戻り、インターネットでチケット予約をしました。この日は2つ美術館を巡る予定だったのですが、この日にインターネット予約できた時間帯は夕方だったので、急遽予定を変更して、先に "アンネ・フランクの家" を見学することにしました。
路面電車に乗り、最寄りの駅から徒歩で歩くこと10分。
アムステルダムで一番高い建物である西教会のすぐ隣にアンネ・フランクの家はありました。
アンネの一家など8人がナチスの迫害から逃れる為に、2年間隠れ家として利用していた家で、内部は博物館になっていました。
ここもものすごい長蛇の列でしたが、美術館に比べると割とスムーズに前に進んでいたので、並ぶことに。
右がアムステルダム西教会、左手がアンネフランクの家の博物館。 |
博物館入口からは長蛇の列が。 |
博物館入口 |
博物館入口のすぐ横にあったアンネの家と書かれた扉 |
気長に待ち、ようやく中へ。
撮影禁止だったので、残念ながら中の写真はありませんが、入口はセキュリティーチェックがあったりと少し物々しい感じでした。
アンネの日記を初めて読んだのは確か小学生低学年か中学年の時だったかと思いますが、世界にこんなに残酷で辛い歴史があったのか、と衝撃を受けた記憶があります。まさにアンネはこの建物で日記を綴っていました。この博物館で彼女の日記の文章や写真、フィルムやそこに残されたものを沢山見ることができました。
部屋の入口には隠し扉の本棚があり、そこから進んで行きました。隠し扉の入口は日本人の私でも少し身を屈めないと入れないくらいの大きさでした。アンネたちのここでの生活は、日中は物音一つ立てる事ができず、そんな生活が2年間、圧迫感と緊張、そして計り知れない不安の毎日だった事がひしひしと感じられました。
壁にはアンネとアンネの姉の身長の成長を鉛筆で書き記した跡があったり、映画スターや好きな写真で一杯のアンネのお部屋もありました。
1944年8月4日、密告を受けて一家は逮捕され強制収容所に連行されました。
8人の隠れ家の住人の中で生き残ったのは、父親のオットー・フランクただ一人でした。
博物館の最後のブースに戦後に撮られた父親の写真がありましたが、その表情は悲しみに満ちた表情で、それを目にした時には込み上げてくるものを止める事はできませんでした。アンネとその家族は"アンネの日記" で世界中で有名になりましたが、同じ様な境遇に陥った家族は戦時中沢山いたのだと思うといたたまれない気持ちになります。
博物館の目の前はこんな景色でした |
博物館を後にし、気持ちも重くなりながらもゴッホ美術館の予約時間までアムステルダムを散策しました。
オランダといえば、チューリップも有名ですね。
チューリップ博物館も近くにあったので、少し立ち寄りました。チューリップの可愛らしい雑貨をみて、少し気分も晴れました。
ショップにはチューリップグッズが一杯並んでいました。 |
アムステルダムは小さな運河が張り巡らされてあり、中心街はどこの場所からも川と橋が見えました。
アムステルダム中心街の地図。 |
傾いているお家シリーズ ① |
傾いているお家シリーズ ② |
傾いているお家シリーズ ③ それでも人は住んでいます。 |
運河が張り巡らされている街並みは素敵でした。 |
こんなに綺麗な街中の写真を載せておいてなんですが、アムステルダムはオランダアヘン法に従った一定の量のソフトドラックの所持と販売が許可されているため、たまにマリファナ等を販売するドラックストア、通称"コーヒーショップ" を見かけましたが、治安が悪いと言われる通りは避けて観光しました。
ただ、道を歩いていると、タバコとはまた違った甘い煙の匂いが漂ってくる事もありましたが、まぁこれはハンブルクも同じな気がします・・・。ドイツではもちろんドラックは禁止ですが。
ゴッホ美術館の予約時間に合わせて美術館へ戻り、予約した電子チケットを見せて今度はスムーズに入館。ここは本当に見応えがありました。名前の通りすべてゴッホの作品が展示されていました。撮影禁止だったので(携帯でとっている人もたくさんいましたが・・・)、自画像や向日葵、日本趣味、黄色い家やファンゴッホの部屋等、有名な絵がいくつもあり、ゴッホの力強く個性的なタッチと色使いを堪能しました。
あくる日の最終日、前日行けなかったもう一つの目的であるアムステルダム国立美術館へ。
後方がアムステルダム国立美術館です。 |
カウンターの人に、今度からはインターネットじゃなくて、直接カウンターでチケット買ってね!その方が簡単だから。と言われ、今度という機会はあるのかな〜。と心の中で思いながらも無事に入館できました。
美術館のエントランス |
ここがまたとても大きな美術館で、丸々1日使わないとじっくり観て周れない美術館でした。この日の午後はアムステルダム空港に向かわなくては行けなかったので、時間が許す限り、急いで色々と鑑賞。ここは撮影可だったので、有名な作品や気に入った写真をいくつかご紹介させて頂きます。
牛乳を注ぐ女(フェルメール/ 1662-1663年頃) |
威嚇する白鳥(ヤン・アセリン/1650年) 昔、幼稚園にいた白鳥とガーコという名の襲ってくるカモの事を思い出しました。 |
夜警(レンブラント/1642年) これはいつしか社会科の教科書で見た覚えがあります。 |
ゴッホの自画像(1886~1887冬) |
配膳室にいる女と子供(ピーテル・デ・ホーホ/1658年頃) どんな会話をしているのでしょうね。 |
小路(フェルメール/1658年) フェルメールが育ったデルフトの街角だそうです。 静かな、それでも人々が淡々と暮らしている様に想像しますが、果たして。 |
みずみずしくて柔らかそうな花々でした(作者不明) |
昔の生活の様子がうかがえる一枚。(作者不明) 奥には馬や走っている犬が見られます。 |
7月に、ポルダー水路上の風車(ポール・ヨセフ・コンスタンティン・ガブリエル) 絵の中で動き出しそうです。 |
海辺で遊ぶ子供達(作者不明) |
写真の様な絵です。 作者はわかりませんが、インディージョーンズのワンシーンの様な色合いです。 |
微笑む女性。 これはジブリ映画を思い出しました。 |
絵画だけでなく、楽器の展示も。 どんな音楽を奏でていたのでしょうか。 |
こんなに大きな船まで展示されていました。 |
大きな地球儀もありました。 |
難破しそうな船。 ヘンデルのクレオパトラのアリア"Da tenpeste"を思い出します。 |
娘を慰める母。優しい気持ちになる一枚です。(作者不明) |
楽しそうな家族。 ここのお父さんはユーモア溢れるお父さんだったに違いありません。(勝手な想像ですが。笑) 猫や犬までいて、ここに参加したいくらいです。 |
こんなに可愛い猫の姿の見つけました。 頭と背中の後ろがなんとも可愛いスイカ柄。 |
子猫にミルクをあげる少年。 |
綺麗な絵柄の食器。 |
味のある木彫りの作品。 僭越ながら左から2番目のキリストが裂こうとしているパンがなんだか美味しそうに見えてしまいます。 |
中世の宗教画で、キリストの生涯が何枚かに分けて展示されてあった最後の一枚で、復活して天に昇っていくキリストとそれを見る弟子たち。いたって真面目な絵なのですが、昇天する足だけが上にちらっと描かれてあって、可愛らしい一枚でした。 |
美術館内部。 歩いても歩いても続いていました。 |
陽気なおじさん。 今にも絵から飛び出てきそうです。 |
こんなに可愛い女の子も。 |
これは音楽一家ですね。 家族でどんな曲を演奏していたのかな、と想像も膨らみました。 |
美術館内に図書閲覧室もありました。 ここはWeb Urbanistが選ぶ世界で最も美しい12つの図書館に選ばれているそうです。 なんだか時が止まっているような感覚に陥りました。 |
他にもたくさん写真はありましたが、これもあれもと載せてしまうともう延々と長くなってしまうので美術作品はこの辺までにしますが(もう既にかなり長くなってしまっていますが・・・)、、色々な展示品を堪能しました。絵画は聖書のストーリーを知っていると、ほとんどの作品を楽しめますが、更に美術史もしっかり勉強して鑑賞すればまた違った見方ができるのでは思いました。
美術館を後にし、残りの時間は街散策をしました。
中央に見えるのがアムステル国立美術館、左手がゴッホ美術館。 前は大きな広場になっていて、日中は皆ここで日向ぼっこをしていました。 |
このような形の自転車を多く見かけました。 色々なものが載せられて便利そうです。 |
可愛らしいカフェ。 ちょっと昭和時代の様な、懐かしい一角でした。 |
自転車のカゴはこのような用途ですか〜!と思った一枚。 |
アムステルダムのパパもイクメン頑張っていますね。 |
おまけ。 私はどこにいるでしょうか。 |
友人とアムステルダム空港でお別れをし、彼女は成田へ、私はハンブルクへ帰ってきました。こんな感じでベルギー・アムステルダムの旅は無事に終わりました。
長々と色々なことを取り留めもなく綴ってしまいましたが、最期まで読んでくださった方は大変忍耐強い方とお察しいたします。ありがとうございました!そしてお疲れ様でした!
ドイツではもうすぐ年明けです。(日本ではもう既に明けてしまいましたが)。これから友人たちとお寿司パーティーをして、街中が安全そうだったらジルベスター礼拝に行って(今年は少し物騒なので様子次第ですが・・・)新しい年を迎えたいと思います。
それでは、
Guten Rutsch ins neue Jahr!!
良いお年を!
直訳すると、上手く新しい年に滑り込めますように♪