4月(2016年)の出来事 その② 〜MDR放送合唱団のオーディション〜

久しぶりのブログです。
忙しさに身を任せっぱなして、気がつけばもう約1年も前の出来事になってしまいます・・・!
次はいつ書けるのかしら、、、といったところですが、まずは4月後半編です。
これは私の人生を大きく変える一つの分岐点になった出来事です。

4月の修了試験が終わった次の週、バッハの街ライプツィヒまでMDR Rundfunkchor(中央ドイツ放送合唱団)の契約団員の為のオーディションを受けに行きました。
5月頭には完全帰国する予定でいましたが、たまたまインターネットでこのオーディションの事を知り、せっかくなのでドイツの最後の記念にと、音源と履歴書を送ったところ、幸い書類と音源審査が通り、オーディションの招待状が手元に届いていました。
ハンブルクからICE(ドイツの新幹線)で片道約3時間半。ライプツィヒは数年前に1週間だけ夏季のマスタークラスを受講した事がありましたが、当時はまさかオーディションを受けにまたこの街にやってくるとは思ってもいませんでした。でも何より、交通費を出してもらえるという事もあって(動機が不純・・・?)、時期的にも初春だったので、車窓からは黄色のお花畑が広がっていて、緊張と小旅ができる嬉しさが入り混じった気持ちでいました。


ライプツィヒ中央駅に到着して向かった先は、駅を出ると離れていてもすぐ目に飛び込んでくる東京のビル並みに聳え立つMDR放送局のビル。久しぶりのこれだけの高さのビルに、私の気持ちはもう怯む(ひるむ)ばかりでした。集合は115分。書類と音源選考を通過した歌手たちが計7人ドイツ、スペイン、韓国、インドと様々な国から集まっていました。受付を済ませ、発声するお部屋に案内して頂き、心の底では、「あぁ、もうまた審査される・・・」と思いながらも、せっかくライプツィヒに来れたのだからとにかく思い切って歌ってこようと心に決め、オーディションに臨みました。
オーディションは課題の独唱曲と合唱曲、自由曲と計10曲ほど用意しなければならなかったのですが、まず1次審査で課題の中から自選の曲をそれぞれ歌いました。オーディションのChorsaal(合唱団の練習所) に足を踏み入れるとそこにはざっと40人程の人たちが・・・。常任指揮者とMDR放送合唱団の団員の方々でした。まぁ皆お揃いで・・・全員が審査員です・・・。心の底で「こんなに大勢いるの?!聞いてない。。。」と正直、お辞儀してそのままくるっと背を向けて帰りたい心境でしたが、まずは名前と歌う曲名を言い、演奏しました。1曲目を歌い終えて最初に感じたのは、合唱団専属のピアニストが伴奏してくださっていたのですが、素晴らしいピアニストだということ。歌い手の呼吸や音楽の流れを止めずにかつ伸び伸び歌わせてくれるピアニストでした。
膝が震える程緊張していたので1曲目を歌い終えると、もうホールから出たい、という気持ちで一杯だったのですが、次はこれ歌ってください、と指定された合唱曲の中から1曲を歌うことに。シェーンベルクの作品でしたが、私の心はもうここにあらずという感じで歌っていたと思います。歌唱後、指揮者から○小説目と○小説目はこう歌ってみてください、と音楽的な指示があり、再度歌い、それが終わると、恐れていた新曲視唱の楽譜を手渡されました。しかし歌っていく中でホールの雰囲気にも慣れてきて、思いの外落ちついて歌い始められました。このまま無事故で新曲視唱を終われるかな、と思った矢先、なんと最後の着地の音が1音ずれて着地。オチがそれ?と言わんばかりの着地だったため、団員さんにどっと笑われ、ピアニストから「あ〜!最後のギリギリまでパーフェクトだったのに!」と・・・。
やっぱり無事故では終わらないのが新曲視唱だと改めて痛感。再度歌い直し、無事合っている音に着地できました。新曲視唱を終えると、一旦試験会場から出されました。ビルの受付前が待機場だったのですが、どの歌手も緊張の様子でしたが、1次の出来を皆でああでもない、こうでもない、と話していました。皆、よく喋るな〜と感心。かなり長いこと待たされ、指揮者と合唱団員の一人が部屋から出てきて一人一人名前を呼び、1次の結果をその場で伝えられました。幸い、私は2次審査に進む事ができましたが、指揮者から新たな注文、「君はソロの曲はソリストらしくしっかり歌っていたけど、合唱曲になると途端に声を抜いて歌っていたから、合唱曲もソロ曲と同様に次は歌ってみてね。」私は、内心、「あ、ソロのように歌って良いんですか!?」と驚きましたが、逆に少しホッとしました。というのも、合唱で歌う際、どうしても周りに合わせなくては、とか声が飛び出してはいけない、とか子音を揃えなくては、とか音程を・・・とか考えすぎるとどんどん蚊が鳴く様な声になってしまい、おまけに発声にとても悩むということを今まで何度か経験してきたので、ソロのように歌って良いなら是非!という感じでした。
2次審査に残ったのは結局私ともう1人のインド人のソプラノ。実は彼女、1年前のグラーツでのコンクールに参加していた時に同じく参加していて、当時は話したことはありませんでしたが、音楽の世界はヨーロッパでも狭いものなのね、とつくづく感じました。
とても感じの良い歌手だったので、次は何歌う?とかどうだった?とか話しながら待機していました。
2次審査は私の場合、自分で選曲して良いと言われたので、ヘンデル「アルチーナ」のモルガーナのアリアを選曲しました。試験場に入ってから演奏前に「もう一度自分の名前を言った方が良いですか?」と聞くと、団員が大合唱で「Nein〜!!!(いいえ〜!)」。そんなに揃って大きく否定しなくても・・・。
ヘンデルは前奏、間奏、後奏が長く、オーディションで演奏するには長過ぎだったので、ピアニストに「長いからここからここをカットして、ここに飛んでもらえますか?」と伺うと、「なんで?僕全部弾くよ〜!」とノリノリだったので、結局全部弾いてもらう事に。しかしノリノリで弾いて下さったお陰でとても歌いやすく、緊張の真っ只中ではありましたが伸び伸び歌わせてもらいました。ピアニストが合いの手をどのように差し出してくださるによって、私の場合大きな影響を受けます。良いピアニストの力は大きいです。
無事になんとか歌い終わり、また新曲視唱?とキョロキョロと挙動不審になっていましたが、今度は指揮者がピアノのところにトコトコとやってきて、彼がピアノで弾く色々な音階やフレーズを審査するものでした。次から次に違う音形を歌わなくてはいけませんでしたが、緊張でハイテンションになっていたお陰で、ハイF(モーツァルト作曲"魔笛"の夜の女王のアリアに出てくる最高音のファ)を通り越して、ハイGis(高音ソのシャープ)までヒョイ、と声が出ました、というか出てしまった、と言ったほうが正解かもしれません。自分でもビックリ。
「これ以上高い音は必要ないね。」と指揮者から言われ、低音も試され、「君は3オクターブ半は持ってるね。」と言われました。
それについてとっさに出てきた一言が「Schön! (良かった!)」。
もう頭が悪いというかテンパってるというか、、、。また団員さんたちにどっと笑われ・・・でも心の中では(こんな高音が出たのは久々です、・・・たまたまです・・・というか多分今日だけです・・・・。)と連呼していました。練習の時でもよっぽど調子が良い時でないと、この日のようにクリアに超高音までいけないのですが・・・今回は奇跡です。
音形の審査が終わり、また部屋から出されて待機。
これもまた長〜く待たされた後、指揮者と係りの方が出てきて、結果を口頭で告げられ、「おめでとうございます!ソプラノ団員としてあなたをお迎えします!」と合格通知を受けました。
オーディション終了時間、夜の7時半過ぎ。長丁場のオーディションでした・・・もう魂が抜けてしまうかと思いましたが、直後にハンブルクの先生に連絡すると、とても喜んでくださいました。しかし正直な所、この結果を指揮者から聞いた時は、嬉しい反面、「受かってしまった・・・どうしよう・・・ということは、5月には日本に帰れない?というかドイツで就職??親に何て言おう。」と不安もグルグルと回っていました。
その不安も全部ひっくるめて色々と考えましたが、せっかく奇跡的に頂けた貴重なチャンス、そして音楽の街ライプツィヒで経験を積めるという事もあって、ここで働く事を決めました。
こういうわけで、2016年の夏、88日付でMDR Rundfunkchorと契約させて頂き働き始めることになりました。といっても、最初の1年間はProbejahr(研修期間)として働きます。ドイツではこれが普通なのです。1年、、、長いですね。。。それでも日本人でありながらドイツの放送合唱団という音楽家にとって安定した職場で働くチャンスを頂けた事に感謝しつつ(そして後々聞かされた話ですが、今回の審査は満場一致での合格だったとの事でこれも感謝。これも大きな奇跡・・・)、他にもやりたいこと、やらなければならない事は沢山あるので、色々と熟考しながら進んでいきたいと思っています。
まずやらなければいけない事、そう、それは家探しとお引っ越し。
ハンブルクからライプツィヒへ、人生初のドイツ国内での大移動です・・・


左、MDRタワーの中に放送合唱団とオーケストラの練習所があります。
右はライプツィヒ大学。