8月(2016年)の出来事 その② MDRでの仕事開始

空港からライプツィヒへ向かう電車の中からの夕日

一時帰国を終え、休む間もなく8月8日にMDRの本社へ契約書にサインをしに行きました。
本来もっと早く契約を結ぶはずだったのですが、労働ビザの発行が予定していたよりも大幅に遅れ、契約日の3日前にビザがやっとおり(日本からドイツに飛ぶ数日前に外国人局からその旨のメールが届きました。これが下りないとドイツで働けないので、無事に下りて母と安堵したのを覚えています。)、ドイツに戻った次の朝に契約、2日後に初出勤を無事を迎えました。6月からの1ヶ月半の間にライプツィヒでの家探し、引越し、日本帰国、京都での本番、ドイツへ再び戻る、と休む間もなかったので、本社での契約日、あまりに疲労していたので、大量の契約書に辞書を片手に目を通す時、何度も机の上で突っ伏して寝てしまいたい気持ちになったのはここだけの話です・・・。まるで中学生時代の授業中のようでした・・・。



契約日。MDR放送局。

そんな目まぐるしい日々でしたが、出勤初日の練習前にマネージャーが「今日から働く新しいソプラノ、Mai Katoを紹介します。」とアナウンスをしてくださり、団員の方々もとても快く接してくれ感謝でした。


職場のMDRタワー(左)とライプツィヒ大学(右)


初練習では合唱団の音楽のレベルの高さに、今まで忙しかったこともすっかり忘れ幸せなひと時でした。そしてソロパートを歌う歌手の上手さにも驚き、初日から沢山の刺激を受けました。
しかしこの日に手渡された楽譜の数、全23曲。おまけに全てチンプンカンプンのロシア語・・・。
私の知っているロシア語と言えば、父から教えてもらったодин/アジン(1)、два/ドヴァー(2)、три/トリー(3) と、Да/ダー(はい)くらいしか知らなかったので、発音するだけでも大変。この日以来、ロシア音楽との格闘が始まるのでした。
それでも練習を重ねていくごとに、ドイツ人でもロシア語の発音は大変だという事がわかってきて少し安堵。皆休憩中に至る所で(トイレでも。これはだいぶ面白い光景でした。笑) ロシア語の「L」の発音を皆で連呼していました。(喉に飲み込むような発音なのですが、何度やっても発音指導の方から注意を受けました・・・。)


そしてもう一つ大きな不安、それは女性で正式団員としてMDRに入団したアジア人は私が初めてということで、日本人が一人もいないという人生初めてのこの状況(韓国人は男声に4人もいるのですが・・・)。そんなのドイツだから当たり前!と言いたいところですが、留学していたハンブルクの学校には日本人が沢山いたので、仕事が始まるずっと前からこの場所で本当に私はやっていけるのだろうか、と不安で一杯でしたが、いざ仕事が始まってしまうと、もうそんな事も言ってられない程、目の前にはやらなければいけない事が盛り沢山。初勤務1週間後には2つ本番を控えていて、これから数日で新しい作品を次々に仕上げていく訓練が始まるのでした。人生、いろいろな試練があります。
それでも、今回ラフマニノフの作品がプログラムの中心だったのですが、混声の厚みと深みが存分に生かされた傑作で、素晴らしい作品に出会う事ができました。

MDRでの初めての本番は、後期バロック音楽を代表する作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマンの出身地でもあるマクデブルク(ライプツィヒから約130キロ)にある聖マウリティウス・聖カタリーナ大聖堂(ドイツ最古のゴシック建築)での演奏会でした。

マウリティウス・聖カタリーナ大聖堂の外観。
実際に見るととても巨大でした。


マウリティウス・聖カタリーナ大聖堂の中庭。

大聖堂の中

大きななパイプオルガンもありました。

そして次の日はライプツィヒから約45キロの都市ナウムブルクの大聖堂(正式名称は聖ペーターとパウル教会。創建は11世紀。ロマネスク様式からゴシック様式への移行期にあたる教会建築で、中世宗教芸術の宝庫だそうです。)での演奏会でした。両日ともライプツィヒから大型バスで移動でした。




4塔の十字形会堂でした



ステンドグラスに圧倒されました。
ステンドグラスの下部には”ナウムブルクの作家(ナウムブルク・マイスター)”と呼ばれる無名の彫刻家たちの作品が12体並び(その中でも"エッケハルトとウタ"の像が有名なのですが、携帯の写真がエラーでアップできなかったので、残念ながらここでは割愛します。)ドイツ・ゴシック彫刻の代表作だそうです。

西内陣の仕切り柵にはキリスト伝が彫られていました
中庭も歴史の重みを感じる空間でした。




マクデブルクでの演奏会では、MDRの黒いロングドレス(昔の団員さんのお下がりでその中で一番小さなサイズだったのですが・・・)が長すぎて、教会中を掃除してきたの?と言われる程裾が真っ白になり、本番直前に同僚から「マイのドレス、大きすぎるね・・・。」と笑われたり(でもこのお陰で緊張が解れましたが。)、アメリカ人の同僚から「今日はマイのMDRでの初演奏会だね!楽しんで!」と満面の笑みで励まされたり、ナウムブルクでは終演後、隣の同僚が「良く歌えたね!」と学校の先生の様に褒めてくれたり、ライプツィヒへ帰るバスの中では、「マイ!初仕事終演おめでとう!」と周りの同僚たちが言ってくれたりと、心温まる、思い出深いものとなりました。
そして今書きながら思い出しましたが、今回プログラム後半に演奏したラフマニノフの作品「ヴェスペレ(晩祷)」が休みなしの1時間の作品、ロシアものとあってものすごく体力と集中力を消耗する作品で、演奏後拍手が会場に鳴り響く中、団員一同でお辞儀をしたと同時に皆で「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と大きく息を吐いたことも忘れられません。この作品は同年11月にライプツィヒのペテロ教会で再演、そしてCD録音をする事になります。

本番中に持っていた譜面は緊張からの手汗でビッショリでしたが、それでも無事に終える事ができて感謝でした。さて、次の公演は客演で8月末から私にとってのMDR初の演奏旅行(スイスのバーゼル)です。





8月(2016年)の出来事 その① ロームスカラシップコンサート

一時帰国!

2016年8月上旬にロームスカラシップコンサートに出演する為に、7月下旬から日本に一時帰国をしました。
帰国で何が一番楽しみだったかというと、愛猫たちとの再会、日本食、そして久しぶりの方々にお会いすること。
何が一番心配だったかというと、日本の夏の暑さに耐えられるかということ。
成田空港に到着して飛行機から降り立った瞬間、日本の高湿度のモワ〜ンとした空気を思わず胸いっぱいに吸い込み、あぁ〜、日本に帰って来た〜!と実感しました。

実家に帰宅すると玄関で末っ子猫のジョイがスリスリと駆け寄ってきて出迎えてくれました。それでも一番初めの挨拶は最年長の今は亡き猫ミカエルへと決めていました。それからジョイ、そして母にしか懐いていない(餌をねだる時だけ父にも擦り寄りますが)ララには遠くから挨拶をし、一通り久しぶりの再会の挨拶を済ませ、この日は長旅でぐったりしていたのでひたすら爆睡。

今は亡き愛猫ミカエル。
よぼよぼおじいちゃん猫でしたが私の中で一番の猫です。


数日後、学生時代からお世話になっているピアニストの山田くん(今や"先生"と呼ぶべきですが、、、。)のお宅へ(お家が実家と近くなのです。)久しぶりの合わせのためにお邪魔しました。久しぶりのピアノ合わせでしたが、相変わらずしっかりと私の呼吸に合わせてくださり、気持ち良く合わせをすることができました。1曲ごとにピアニストと話し合いながら曲を作っていくのは楽しい作業です。

ロームスカラシップコンサートはロームミュージックファンデーションの本社がある京都での演奏会でした。コンサート会場は府民ホールアルティ。京都は関東よりも蒸暑く感じました。
コンサートは名の通り、ロームミュージックファンデーション奨学生によるもので、現在留学中、または留学を終えた音楽家が世界各国から集まりました。
周りの方々が素晴らしい方々ばかりでしたので恐れ多い気持ちでいっぱいでしたが、滞在するホテルやおいしい和食のお弁当も用意してくださり、感じ良く対応してくださる関係者とスタッフの方々、終演後には手土産まで頂き、最初から最後まで手厚いおもてなしをしてくださり、本当に感謝な一日となりました。
演奏会では、4月のハンブルクでの修了演奏会のプログラムから数曲、ハイドン、ヘンデル、メンデルスゾーン、ローレム、山田耕筰と私の好きな曲を選曲させて頂きました。
演奏会数日前、注意していたもののしっかり夏風邪を引き、いろいろと不安と反省の多い演奏会でしたが、温かいお客様にも励まされて、無事に終演することができました。
会場が京都だったこともあり、普段はなかなか会えない親戚が和歌山、大阪、鳥取から応援に駆けつけてくださり、数十年ぶりに再会することもでき、嬉しいひと時でした。



撮影:佐々木 卓男(Tatsuo Sasaki)

撮影:佐々木 卓男(Tatsuo Sasaki)

撮影:佐々木 卓男(Tatsuo Sasaki)

撮影:佐々木 卓男(Tatsuo Sasaki)


Youtubeに演奏会の時の映像がアップされていました。
ショートバージョンの動画にも取り上げてくださりとても恐縮ではありますが、ロームミュージックファンデーションの2年間のお力添えなくしては、ドイツへの留学は叶わなかったので本当に感謝しています。これほどまでに良くしてくだった奨学金制度は日本には他にないのではないでしょうか。


 


日本各地から親戚が応援に駆けつけてくれました。
数十年ぶりの懐かしい再会でした。

スカラシップコンサートの楽屋で出して頂いたお弁当。
実に美味しいお弁当でした!

演奏会の2日後には仕事でドイツに戻らなくてはならなかったため、残念ながらゆっくり京都には滞在できませんでしたが(いつか心置きなく京都を巡りたいです)、京都から東京に戻る帰りに、母の実家の愛知県岡崎市へ祖母に会いに数時間寄り、短い時間でしたがこれもまた懐かしい再会でした。岡崎駅で岡崎花火まつりの宣伝を目にし、小さい頃(おそらく3〜4歳)に家族で観に行ったことを思い出しました。別れ際には祖母をお迎えに来ていた叔母が、ドイツに持って帰るためお土産を沢山持たせてくれ感謝でした。

懐かしの岡崎駅

あっと言う間の日本滞在、もう少しゆっくり滞在したかった・・・、と後ろ髪を引かれるような思いと共にドイツへ戻ったのでした。
この2日後からいよいよ、ライプツィヒでMDRと正式契約し、仕事が始まります。

おまけの写真。
実家のわんぱくジョイにも癒されました。
洗濯カゴに自ら入り、、、

取手から顔と腕を出すジョイ。
何事にもいつも真剣に取り組む彼の姿勢からは学ぶべきものがあります。(笑)












7月(2016年)の出来事 中古自転車を買う

自転車を求めて歩き回っていた途中の一枚

私のうん10年の人生でベスト10に入るくらい大変だったハンブルクからライプツィヒへのお引越しも、色々な方のご協力をお借りして無事に終え、なんとかライプツィヒ生活をスタートさせた2016年7月。交通手段はもっぱら歩きか路面電車だったのですが、もっと早く簡単に移動したいと考え、インターネットのebay(色々な中古品を一般の人たちが出品しているサイト)で中古自転車を探しました。希望は155センチの私の背丈でも乗れるサイズでカゴ付き、あまり値段が高くないもの。探しては出品者に直接メールを送って日取りを決めて実際に見せてもらって乗ってみてという感じだったのですが、まず値段、ドイツ人は基本的に中古でもあまり値段を下げないことで有名(?)で、思ったより安い自転車が見つからないので、結局コンタクトをとって実際見に行ったのは3〜4件でした。
インターネットで見る写真よりも大きすぎて、足が届かないのに関わらずせっかく来たんだからと無理にプルプルしながらゆっくり漕いでみるも、出品者にも「うん、あなたには大きすぎるわね」と言われたり、出品者のお家が遠すぎて、7月のジリジリと太陽が照りつける炎天下(この日は珍しく暑すぎる日でした。)、ライプツィヒ郊外の自然が広がる中の一本走る自動車道を汗だくになりながら永遠と歩き続け、途中でもう折り返して帰りそうになったり、移民のイラン人(多分)の大家族が出迎えてくれて子供達が見つめる中、子供サイズの大人の私が試し乗りしたりと、色々と見に行きましたが、炎天下の中遠出した所で70ユーロでまずまず自分のサイズにあったものを見つけたので、ぶっきらぼうであまり感じの良い出品者ではありませんでしたが購入を決定。ただし、これはひたすら歩いてたどり着いたお宅だったので、足も棒のようになっていたこともあって、試し乗りした時に、自転車はこんなにも楽で快適な乗り物なのか!とある意味錯覚を起こしてついつい購入してしまったのでした。インターネットで見ていた写真と違ってカゴが付いていなかったので、カゴはないかと聞くと、倉庫から外したであろうカゴとついでに取り付け用のドライバーをつけてくれました。それでも70ユーロは高かったので一応値引きしてくれるか聞くも、状態が良いからこれ以上値引きできない、と言われました。(イラン人は値引きしてくれたのですが・・・折りたたみ式自転車だったので買いませんでしたが。。。)
しかし、また来た道を永遠と歩くには涙がちょちょぎれそうだったので、もう諦めて購入。
それでも、帰りは風を切って自転車を走らせ、道を歩いている人を追い抜いては優越感を感じ(笑)、クタクタになって帰宅しました。
この時はまだ知りませんでしたが、ライプツィヒは高度差もあまりない地形らしく、自転車を使うにはもってこいの街だそうです。車道もだいたい車と自転車用の道、歩道とに分かれていて、わりと安全に乗れます。ドイツ人の男女共にガシガシと漕ぐスピードに慣れる以外は・・・。
こうして無事に移動手段を手にいれたのでした。

この7月の回には関係ありませんが、ビザの登録をしにいった際に、公園の中を突っ走る路面電車に出会いました。日本ではまず見かけない光景、面白かったのでおまけに動画をアップします。


6月(2016年)の出来事 お引越し〜ハンブルクからライプツィヒへ

ライプツィヒのとある公園

暑中お見舞い申し上げます!
日本は夏もいよいよ本番、蝉の声や風鈴の音、日本の花火の大輪の輪がとても懐かしく感じる今日この頃です。
ライプツィヒも今日は30度を超え暑い一日でしたが、日本の様な湿度はなく、茹だる暑さではないので、まだまだドイツの夏は甘っちょろい気がしています。
さて、今日は昨年の6月の出来事をいつものことながらマイペースに書きたいと思います。

この月の終わりはいよいよお引越しでした。
引越し業者の引越し代を職場が出してくれることになっていたのですが、その申請がなかなか大変で、この書類ではダメ、あの書類でもダメと、ああだこうだしていたら結局時間もギリギリ切羽詰まってしまいました。幸い、ハンブルク在住の日本人の方々の助けもお借りし、なんとか引越し業者も決まり、箱詰めは全て自分で。一人分の荷物だからそこまで大変ではないと思っていましたが、2年半の年月で所有物を知らず知らずのうちに溜め込んでいたことにこの時初めて気がつくことになります。
引越し用ダンボールはアルトナ(住んでいた街)にあったIKEAで何度か往復して買い、部屋の掃除も併せて毎日黙々と準備をしていました。
全部でなんとダンボール28個!!何がそんなに増えたかな〜、と全くの疑問であります。いつか断捨離をしなくては、、、と心の底で叫びながらも、ライプツィヒでも必要だと思うものは捨てずにダンボールに全て詰め込みました。

そんな引越し準備期間中に、同居人のドイツ人のマルティーナとお隣に住んでいるご夫婦がお別れ会を開いてくれました。いつも私の事を応援してくださり、4月の修了演奏会にも応援に駆けつけてくださったりと、とても良い方々でした。お別れ会ではお礼にアメイジンググレイスをアカペラで日本語と英語とドイツ語で歌いました。歌い終わって改めてお礼をいう時、本当にこの方々との別れが寂しくて、思わず泣いてしまったのはここだけの話です。


なぜイギリス国旗のナプキンがあるかと言うと、この日の前日にイギリスがEUから抜けたのでした。
たまたま食器棚にあったのをマルティーナが出してきました。
イギリスのEU離脱のニュースは衝撃的でしたが、見事にタイムリーなナプキンでした。笑

マルティーナが行きつけのカフェの3種類のケーキを買ってきてくれました。
(ラバーバ、2種類のリンゴのケーキ。)どれも美味しかったです!
左が同居人マルティーナ(小児科の英語とフランス語の先生)、
右がお隣に住んでいたご夫婦(良く近所の家の猫(フェリックス)を自分たちのお家に泊まらせてあげていました。)



引越し業者の運搬可能日が新しいお部屋の入居日に間に合わなかったため、同居人と知り合いの方に運搬日当日の確認を頼まなくてはいけなかったので、本当に協力してくださる方がいて感謝でした。ということで、荷物が運搬される一足先に私はICEでライプツィヒへ。当日、アルトナ駅まで同じ学校で学んだ友人たちが見送りに来てくれ、涙涙のお別れ。素敵なメッセージノートを頂きました。大好きな声楽の先生、お世話になった先生方、友人たちが沢山書き込んでくれて、心が熱くなりました。

頂いたメッセージノート

ライプツィヒへのICEの中で読ませて頂きました





ライプツィヒまではスムーズにたどり着くことができ、無事に新しい家の鍵を受けとり、その翌日に住民登録、晴れてライプツィヒの住人になることができました。役所の人がとても感じが良く(ドイツでは珍しい!)、新しい街で不安もありながらも、気持ち良く新生活をスタートすることができたのでした。引越し業者の荷物もその後無事に届き、色々な方に助けて頂き、改めて感謝の多い日々でした。


住民登録したらライプツィヒ住民ビギナーセットがもらえました。
ハンブルクよりもご丁寧な街です。

ライプツィヒ住人ビギナーズセットの中身。
といっても宣伝の品が殆どですが、クーポンもはいっていました。
入居日に大家さんがライプツィヒの地図を貸してくれました。