ゲントとブルージュでベルギーを観光した次の日は早起きをして、午前中はブリュッセルを再度観光。日が出ている時間に街中に出てみるとまた一味違った雰囲気が味わえました。
グランプラスの市庁舎 午前中の景色 |
市庁舎の天辺の大天使ミカエルは風向きで向きが変わります。 |
市庁舎の入り口 |
市庁舎の入り口は中世を思わせるような扉でした。 |
扉の鉄の模様はなんともメルヒェン感漂う柄でした。 |
市庁舎の入り口をくぐって入ると、星型マークが。 ブリュッセルのゼロ地点だそうです。 |
グランプラスの「王の家」 屋根に並ぶ青銅の像はシンメトリーになっているそう。 |
前回も載せましたが、ギルドの家々 明るいと隅々の色々な紋章が発見できます。 写真が小さくて見にくいですが、右から2番目のお家のちょうどベルギーの国旗が垂れ下がっている左側には白鳥の紋章が見られます。 |
上と同じ建物。晴天でした。 左から2番目一番上のアップの写真が以下です。 |
前回も書きましたが、ヴィクトル・ユゴーの住んでいたお部屋。 明るいうちだとこんな感じです。 |
あぁ、また甘いものを私は・・・という罪悪感に・・・全く苛まれることなく、美味しそうないちごチョコレートを堪能。なかなか良いお値段だったので、友人と半分ずつ。幸せな甘さでした。
GODIVA一号店の店内 |
黙々とイチゴをチョコレートでコーティングする店員さん。 |
またいつか食べたい・・・夢にも出てきそうです。 |
イチゴチョコレートの下。 |
またまた馬車の馬が。 この背景に似合っていました。 |
ふと見上げるとクランプラスの上空に十字の飛行機雲が。 |
ブリュッセルは織物も有名だそうで、お土産やさんもたくさんありました。 |
どれも素敵で、思わず買いそうになってしまいましたが、散々葛藤した挙句、貧乏学生の身でもあるので、"我慢"という名の勝利を得て、お店を後にしました。 |
建物の細部に目を凝らすと、こんな天使が飛び交っていたり・・・ |
こんな辛そうな体勢で頑張っておられる方々がいたり。 ひとつひとつ丁寧に楽しんでいたらいくら時間があっても足りません・・・。 |
それがこちら。
小便小僧。 びっくりするほどの小ささでしたが、観光客一番の人気スポットのようです。 大勢の前で、臆することなく軽快に用を足している少年でありました。 |
ブリュッセルを明るみで堪能した後は、もう一つどうしても行ってみたい街がありました。
フランダースの犬でも有名な・・・
そう、アントワープです!
アントワープにあるベルギー最大のゴシックの大聖堂であるノートルダム大聖堂を目指して電車で向かいました。
アントワープ駅構内 |
先ほどのアントワープ駅構内の写真の位置から上を見上げると、こんな光景が見られました。 非常に高い天井でした。 |
アントワープ駅を出て、ひたすら歩きました。
道の途中で、オープン間近のユニクロを発見したり、
何が起こったのか聞きたくなる女性を見つけたり、
ベルギーのパトカーを見つけたり、
とにかくひたすら歩くこと20分強。(インフォメーションのおじさんは、歩いてすぐだよ!と言っていたのですが、私たちの歩幅が小さかったのでしょうか、それともおじさんの歩幅が大きすぎたのでしょうか。)
それでも、やっとノートル大聖堂が見えてきました。
右手奥がノートルダム大聖堂 |
やっと辿り着いて、またあまりに大きいので写真に入りきらず。 1352年に建設された教会だそうです。1352年、日本では室町時代・・・かなり歴史があります。 |
大聖堂内に入ると心臓がトクン、トクンと高鳴りました。
大聖堂内、入ってすぐ。 |
聖堂内左側ををゆっくり進んでいき、ついにその全貌が目に入ってきました。
ルーベンス作のキリストの昇架 説明するまでもありませんが、筋骨隆々の人々が今まさにキリストが磔になった十字架を引き上げようとしている瞬間を描いた作品です。右側には強そうな馬に乗ったローマ兵の姿がありました。 |
キリストの昇架の絵からちょうど反対側(祭壇向かって右手)を見た景色。 |
そして、キリストの昇架の反対側にはキリストの降架の絵がありました。 |
キリスト降架の真ん中の絵アップ 昇架の絵に比べると、嵐が過ぎ去った様な静かな、そして悲しみを称えながらも柔らかい印象でした。 キリストが、ごく身近な人たちで囲まれているのがわかります。 なんとも目が釘付けになる絵でした。 |
この"キリストの降架"は かなり前に日本にも来ていたことがあり、母と美術館でこれを観た記憶があります。何歳の頃だったか忘れてしまいましたが、母がこの絵を見て母の心の深いところで何かを感じているのを目の当たりにしたのを今でも覚えています。今回こうして、もう一度この場所で目にすることができ、感動でした。
フランダースの犬の映画の中で、ネロが亡くなる直前に、どうしても観たかった絵が、この"キリストの降架"でした。この絵を観てから、中央の聖母マリアの大きな絵の前で愛犬のパトラッシュと一緒に天国に昇って行きました。小さい頃に映画館で母と弟と一緒に観ましたが、号泣。映画館に観に来ていた人たちのほとんどが涙していました。
ルーベンスはとても西洋的に描いているので、実際はもっと違う映像だったと思いますが、ネロが死ぬ前に一目観たかったという設定だったことは、この絵を観て、納得できました。教会を出るところにお土産ショップもあったので、記念にハガキを数枚購入する際、レジのおじさんから声をかけられました。しかもドイツ語で。奥様がドイツ人とのことで、少しお話しましたが、「私はね、"昇架" より"降架" の絵の方が好きなんだよ。優しい絵だからね。」とおっしゃっていました。とても共感できる言葉でした。
そしてこのノートルダム大聖堂、この時期だけ他の絵画や作品が教会内に展示されてありました。
保管用ガラスにステンドグラスが映って少し見えにくいですが、とてもカラフルな楽譜でした。 |
こんな本も。手のひらサイズの小さいものでした。 |
色鮮やかな天使たち |
以下のような解説が何箇所かにありました。 |
日本人観光客が多いためか、日本語の解説も。 一番上の"日本の" というのは恐らく"日本語"と書きたかったのかと思います。 |
ちょっとお二方とも美少年すぎる気もしますが・・・ |
こちらはまた一味違った風貌ですね・・・。 |
このノートルダム大聖堂を出たあとは、街中を少し散策。
ノートルダム大聖堂の南側の降るん広場の中央にはルーベンスの像がたっていました。
ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)の像と左手後方にノートルダム大聖堂。 アントワープ出身の両親の元、ドイツのズィーゲン(Siegen)で生まれました。イタリアで宮廷画家として活躍後、アントワープに戻り、大作の"キリストの昇架"、"キリストの降架" をはじめ多くの作品を残してます。外交官の顔も持つそうです。 |
アントワープの市庁舎。1561~1565年に建てられ、建築はイタリア人が参加したことから、イタリア・フランドル・ルネサンス様式になっているそうです。鐘楼部分は「フランドル地方とワロン地方の鐘楼群」のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録されているとのことです。(JTB参照) |
昔、シュヘルド川沿いの城で、巨人ドルオン・アンティゴンが、川を通る船に厳しい通行税を課して、支払いを拒むものの腕を切って乱暴をしていたそうです。これに対して奮起したローマ兵、シルヴィス・ブラボーが巨人アンティゴンの腕を切り落とし、川に投げ入れた、というアントワープの伝説があり、"ant(手)" を"werpen(投げた)" ということから、アントワープ(これは英語発音)という地名がついたそうです。
右手に、腕を今まさに投げようとしているシルヴィス・ブラボーがいました。 暗くてよく見えなかったのですが、彼の下には腕を切られて横たわる巨人が。 どちらにしても恐ろしいですが・・・。 |
あたりも徐々に暗くなってきました |
そして、今回も時間が取れずに、ルーベンスが晩年に住んだ家はすでに閉館で見ることができず。一応、目の前まで行ってみましたが、真っ暗でした。
ルーベンスの家 真っ暗でした・・・。 |
この日も無事にブリュッセルまで帰り、最後のブリュッセルでの夜を過ごしました。
次の日はまたタリスに乗ってアムステルダムへ移動です。
〜次回に続く〜