3月(2016年)の出来事 〜憧れの歌手から手紙が届く 〜




3月のある日、ポストに憧れの歌手からのお手紙が届いていました。
モーツァルト歌いでもあるソプラノのエディット・マティスからのお手紙です。去年の夏にリューベックで彼女のマスタークラスを受講しましたが、以前私が送ったご挨拶とお礼のお手紙にわざわざお返事を下さいました。リューベックでのマスタークラスの事も書かれていて、覚えてくださっていて感謝でした。マティス氏の旦那さんは日本通の方で、既に日本に数十回行かれたとの事で、今でもたまにメールを下さいます。この夏に彼らの住むザルツブルクに遊びに来ませんか?とおっしゃって下さいましたが、生憎私はその時期日本にいなくてはならず断念しまいたが、いつかザルツブルクにも訪れるチャンスがあったら良いなと思います。
マティス氏は雲の上の様な存在ですが、リューベックで教えて頂いた事を忘れずに歌っていけたらと思います。

そして、3月の後半にはカイザースラウテルンにあるChrist Gospel Churchというドイツ南西部の町の教会に招待して頂き歌ってきました。ただ、この頃忙しさもあってか腰痛がまた少し再発、4月にはいくつか本番を控えていたので、キャンしなければならないか迷いましたが、次はいつ行けるかわからなかったので、強行突破でICE(ドイツの新幹線)で6時間強の長旅をしてきました。
恐縮にも私が腰痛だという事で、牧師先生(女性アメリカ人の先生でした)のふかふかのベットを貸してくださり、至れり尽くせりで逆になんだか申し訳ないくらいでしたが、とても素敵な時を過ごさせて頂き、何より何とか無事に歌うことができて感謝でした。ハンブルクに戻るまで腰も守られて、これも感謝でした。

往路のシュトゥットゥガルト行きのICE.

乗車チケットとお昼ご飯を持って乗り込みました。

Christ Gospel Church in Kaiserslauternの様子

カイザースラウテルンで素晴らしい空にも出会いました。

帰りのハンブルク・アルトナ行き

行きも帰りもマンハイムで乗り換えました。

牧師先生が帰りに持たせてくれたお手製のチキンサンドイッチ。
帰りのICEの中で食べました。これが忘れられない程の美味しさでした。
もう一度言いますが、本当〜に美味しかった!!


2月(2016年)の出来事 〜 C.P.E.バッハ《マタイ受難曲 1769》〜




大変ご無沙汰しています!
日々の色々な事に追われ全く落ち着かず、ゆっくりブログが書けない日々を送っていましたが、気がつけばもう2016年も終盤に・・・急がねば!
という事で、今回は2016年2月の出来事を回想してみようと思います。(2月・・・。笑)

1月は日本に一時帰国していましたが、無事にハンブルクに戻り、カール・フィリップ・エマニュエル(C.P.E.)・バッハ作曲の《マタイ受難曲 1769》のソロを歌わせて頂く機会がありました。
このお仕事は、以前からハンブルクやリューベックでマスタークラスに参加した時に、ハンブルク音大の教授が聴きにいらしていて、マスタークラス後に「ハンブルク音大の大学院で私の元で勉強しない?」と毎回声をかけてくださっていた先生がいたのですが(結局ハンブルク音大は受験しませんでしたが。)個人レッスンに通わせて頂き、ある時にソロを歌ってみないかと、今回の公演のお話を頂きました。

C.P.E.バッハは音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハの最初の妻との間の次男で、ハンブルク(ベルリンでも)で活躍した作曲家です。バッハ父と見分けるために"ハンブルクのバッハ"との呼び名もあり、ハンブルクの5大教会のカントールとして活躍し、その中でも一番有名なミヒャエル教会には彼のお墓があります。
彼はバッハ父よりもテレマンの影響を強く受けており、生前は父のヨハン・セバスチャン・バッハよりも名声を得ていたようですが、常に彼はバッハ父への尊敬を持って日々作曲していたそうです。
彼は6つの受難曲を作曲していますが、この作品が演奏されるのは稀で、私もお恥ずかしながらこの作品を知りませんでした。この楽譜をハンブルクで初めて譜読みし、全体を聴きましたが、この作品の中には耳馴染みのあるメロディーのコラールが登場したりとやはりお父さんの影響も受けて作曲しているように感じました。

他のソリストはハンブルク音大の大学院の声楽科の方、NDR(北ドイツ放送)放送合唱団の団員の方、オーケストラはこの日の為に集められたオーケストラ、合唱はハンブルクの高校の学生達が演奏しました。2月という事、そして教会での演奏会とあって、かなり寒い思いもしましたが、本番はそんな事も忘れ、伸び伸びと歌えたように思います。ハンブルクに馴染みのある作曲家の一人のC.P.E.バッハの作品を今回学べてとても良い機会となりました。
当日はハンブルクでお世話になったガストファミリーや友人達、この教会を紹介して下さったハンブルク音大の教授も駆けつけてくださり、嬉しいひと時でもありました。

当日のリハーサル風景


留学を始めた最初の1ヶ月お世話になったガストファミリーも聴きに来てくださいました。
なんとおばあちゃんは92歳!



2月でしたがクロッカスが顔を出していました。




ガストファミリーから頂いたチューリップの花束。
本番終了直後の拍手の中、ガストファミリーのお父さんがこの花束を指揮者を通り越して「マイ〜!!」とニコニコしながら私に手渡してくれ、嬉しいような恐縮なようなという感じでしたが、いつも応援してくださって本当に感謝です。












1月(2016年)の回想記 〜 モーツァルト、ハイドン《レクイエム》 〜

ドイツは残暑が厳しい日が続いています。日中は30度を超え、湿度はあまり高くないのですがジリジリとした日の光を浴びているとステーキでいうウェルダンになってしまいそうです。現在、絶賛シミ製造中といったところでしょうか・・・。
日本では「美白」になる為のものがたくさん売られていますが、ドイツは全くその逆で、皆さん、ガンガン肌を焼いています。白い肌は不健康そうに見えるとか、いかに休暇を楽しんだかをアピールするとかなんとか。確かに、「あぁ、ここにシミが〜・・・」と嘆いているドイツ人にはまだ会ったことがありません。
私が日本にいた頃は、夏になると日焼け止め塗って、日傘して、手袋して、パックして、シミを発見すると落胆していましたが、ドイツで生活をしているとそんなのお構いなしといった感覚になってしまいます。いつか日本に帰国した時の状態を想像すると恐ろしいような気もしますが・・・価値観は国によって色々あるものですね。

さて、また久しぶりの投稿になってしまいましたが、今回からやっと2016年の回想記に入ります。書いている今現在は2016年9月なのですっかり浦島太郎のような状態ですが、良い思い出も沢山あるので少しずつ時差(?)を縮めながら書き進めていけたらと思っています。(マイペースで毎度恐縮です!)


2016年、新しい年を無事に迎え、8ヶ月ぶりに日本に帰国し、1月30日に東京の紀尾井ホールでYMCAオラトリオソサエティーの定期演奏会に出演させて頂きました。
曲目はM.ハイドンとモーツァルトのレクイエムでした。
モーツァルトのレクイエムは特に知られた作品で一般的にも演奏される機会も多いのですが、M.ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟)のレクイエムが演奏されるのは稀で、私自身も初めて歌わせて頂きましたが、この作品も大変興味深い作品でした。モーツァルトとM.ハイドンは当時から多くの親交があったそうで、モーツァルトの書いた手紙にもM.ハイドンが度々登場するという話を聞いた事があります。そんな事もあり、曲の作風も非常に似ていて、演奏の最中、色々な箇所で「あ、そっくり!」と思う箇所が多かった様に思います。同時代に生き、お互い感化されながら作品を世に生み出した二人のレクイエム、一度に演奏できるチャンスはなかなかないので、この点でも非常に勉強になりました。

演奏会当日の東京の天気予報は雪でしたが幸いにも降らず、演奏会後には少し晴れ間も見えて感謝なお天気でした。

オーケストラは新日本フィルハーモニーのメンバーから編成されたオーケストラで、その醸し出す音の風に背中を押される様に、周りのソリストの方々に感化されながら、そしていつも温かく迎えてくださる合唱団の皆様の温かみと気合に満ちた歌声とを背中に感じながら、気持ちを込めて演奏させて頂きました。毎度の事ながら新たな課題も見つけ、また頑張って行かねばと気持ちが引き締まった思いでした。

今回発見したのは、弦楽器の方々の近くで歌っていると非常に歌い易い、という事です。5歳から14歳までヴァイオリンを鈴木メソードで習っていたので、そのこともあるかもしれませんし、素晴らしい音色で弾いて下さるオーケストラの方々の呼吸に合わせられる、という事も大きかったのは明らかですが、弦楽器の音色があると非常に気持ちよく演奏できます。もっと日頃から声楽ばかりではなく、弦楽器や他の楽器の演奏も色々と聴いてみようと思いました。

また当日は多くの知り合いの方々、いつも応援してくださっている方々も会場に駆けつけて下さり、久しぶりの再会もあり、終演後も嬉しい懐かしいひと時でした。

いつもお声をかけてくださるYMCAオラトリオソサエティーの皆様には毎度感謝の気持ちで一杯です。YMCAオラトリオソサエティーの皆様との出会いはかれこれ10年近くになり、お会いする度に家族と再会した様な安堵感があります。
そして1月の寒い中、会場に足を運んで下さったお客様に心から感謝します。
昔、東京少年少女合唱隊で歌っていた頃、指揮者の先生が「良い演奏会とは、お客様と演奏者の両者が一致した時に成り立つものです。お客様と演奏者がそれぞれの三角形だとすると、角で向かい合ったその二つの三角が演奏会会場で一致してダビデの星の様になるんですよ。その時に初めて、良い演奏会は生まれるものなんです。」と仰っていたことを思い出しました。
今回、ダビデの星の様になった演奏会だったと思います。


その後ハンブルクで本番があった為、すぐにドイツに戻らなければなりませんでしたが、ギリギリまで日本食を堪能し、家猫ともストーブの近くでヌクヌクし、「あぁ、日本ってやっぱり素晴らしい国・・・。」という思いを胸に帰路についたのでした。



指揮者の渡辺善忠先生をはじめアルトの小川明子先生、テノールの鏡貴之先生、バリトンの原田圭先生、オルガンの堀井美和子先生と一緒に。


当日の演目の楽譜と頂いた贈り物。

実家のララ。
シャイな女の子、母の事が大好きです。





12月(2015年)の回想記 〜クリスマス!〜

今回は昨年の12月の回想記です。
12月はクリスマスシーズンということもあって、思い出すだけでもウキウキしてしまうキラキラした思い出が沢山ありました。


ハンブルク市庁舎前のクリスマスマーケット


例年の如く街中至る所でクリスマスマーケットが開かれ、この時期に食べるドイツのお菓子、日本でもお馴染みの "シュトレン Stollen " が売られています。ある夜帰宅すると同居人が美味しそうなシュトレンを分けてくれました。ビオスーパーで購入したものらしく、中のナッツが香ばしく、ドイツのお菓子らしからぬ甘さ控えめで、とても美味しかったです。
シュトレンの豆知識がWikipediaに載っていました。
生地にはドライフルーツやナッツが練りこまれており、表面には砂糖がまぶされている。ドイツでは、クリスマスを待つアドベントの間、少しずつスライスして食べる習慣がある。フルーツの風味などが日ごとにパンへ移っていくため、「今日よりも明日、明日よりもあさってと、クリスマス当日がだんだん待ち遠しくなる」とされる。
発祥はザクセン州のドレスデンで、その歴史は14世紀にさかのぼる。ドレスデンでは、12月の第1土曜日に巨大なシュトレンがパレードする祭りが行われる。

とのことです。ひとつ豆知識が増えました。
私は全く少しずつではなく、美味しくて一気に食べ終えてしまいましたが・・・
一応お腹はクリスマスの準備万端になりました。





ちょうどこの時期、ハンブルクで "Dom ドーム" という移動遊園地が開かれていました。このドーム、ハンブルクには年に3度やって来るのですが、ヨーロッパのあちらこちらであるような小さな規模の移動遊園地ではなく、これって本当に移動するの?!と驚くくらい結構大きな遊園地になります。2年もハンブルクにいて、一度も訪れたことがなかったので、一度だけ友人たちと遊びに行ってきました。移動遊園地なのに大掛かりな観覧車や絶叫マシーンもありました。

かなり大きな観覧車。
中央にはハンブルクのマークが。

これが組み立て式だと考えるだけで、この上ない絶叫マシーンの様な気がしますが・・・。昔からジェットコースター等の絶叫マシーンが大好きな私ですが、腰の事もあって、今回はジェットコースターに乗るのを見送るという残念な思いをしましたが、雰囲気は味わえて良い思い出になりました。

そして、12月12日、私がこの月で一番楽しみにしていた演奏会がありました。
イギリスのアンサンブルグループ、キングスシンガーズがハンブルクにやってきたのです!
昔から、彼らの透き通るようなハーモニーと曲のアレンジがとても好きで、日本にいた時からよくYoutubeを見ていました。彼らのポスターをハンブルクで見つけた時にはすぐに手帳に大きく記入し、この日を心待ちにしていました。


会場はライスハレでしたが、自分がNDRの時に出させて頂いた時よりも数倍ウキウキした気持ちでホール会場に入り(笑)、とても良い席で彼らの音楽を満喫する事ができました。

会場のライスハレ


プログラムの中心はクリスマスソングでしたが、夢の様なひと時でした。
プログラム途中で、曲終わりにあまりの素晴らしさに、大きくため息をつくお客さんまでいました。
メンバーは昔から私が知っているメンバーとだいぶ入れ替わっていましたが、ピュアボイスのカウンターテナーの方はそのままで、素晴らしいアンサンブルを堪能しました。
ピタっと、ブレずにはまるハーモニーは聴いていて鳥肌が立ちます。


終演後、会場ではキングスシンガーズの前でアンサンブルを披露するお客さんまでいたり、子供から若い世代のお客さんを多くみかけ、オペラの客層とはまた違ったファン層の雰囲気も私にとってはとても新鮮でした。
この様なアンサンブルグループで歌えたら、気持ち良いだろうな、と羨ましい気持ちにもなりました。

終演後に購入したCDに全員のサインをもらいました。
このCDは早速Ipodに入れ、ICEの中で良く聴いています。

ピュアボイス、カウンターテナーのデーヴィッド・ハーリーさんと。

彼らのお気に入りの一曲。




そしてクリスマスイブの24日はハンブルク歌劇場にオペラ《ヘンゼルとグレーテル》を観に行きました。
この演目、そしてクリスマスイブということもあって、家族ずれが多く、賑わいのあるオペラハウスでした。
ヘンゼルとグレーテル、子供の役ですがとても立派な声の歌手が歌っていました。大人っぽすぎる・・・と思ったのはここだけの話ですが。
魔女役はテノール歌手が担当していて、子供たちの間で一番人気。
後ろの席に座っていた小学生くらいの女の子が、魔女が登場する度に「魔女!魔女だ〜!」と嬉しそうに言っていました。
この秋に”魔女の一撃”をくらった私にとってはあまり嬉しい存在ではありませんでしたが・・・。
このオペラは何回も見ましたが、ヘンゼルとグレーテルが迷い込んだ森の中で眠る時に、天使たちに守ってくれるようにお祈りするシーンは毎回感動します。ハンブルク歌劇場の演出は、彼らが寝ている間、大勢の大きな翼をもった天使が取り囲んで護っていました。


子供たちの衣装がとっても可愛かったです。
やはりこういう演出や衣装がホッとします。

オペラの帰り、電車を待っていたホームの掲示板も年末仕様でした。




ドイツでは12月26日までがクリスマス本番です。
クリスマスマーケットは24日で一斉に閉まり、街中は一気に静まりかえります。
26日は同居人がお料理を作って下さり、お隣さんご夫婦を招いて皆でお食事をしました。


牛のモモ肉をつかった料理。

お食事後、何故か折紙大会になり、鶴の折り方を教えたところ、お隣りの奥さんがハマってしまい、彼女は連続で何度も折り続けていました。

日本から持参していた折紙が役にたった瞬間でした。

気がつけば彼女の周りは折り鶴だらけに。




皆で童心に返りました。

美味しいお料理と親切な同居人、お隣さんと一緒に過ごしたひと時は良い思い出です。
因みに、数日後、お隣の旦那さんに玄関前でお会いし、この日以来、家中が鶴だらけになってるよ。と言っていました。奥さんは、年末にフランクフルトの親戚の子供たちに今回覚えた折り鶴を披露したそうです。子供たちはとても喜んでいたと聞き、私も嬉しくなりました。

2015年も忘れられない思い出が沢山あった感謝な一年でした。
留学は夢のまた夢だ、と日本にいた時には思っていましたが、幸いにもこうしてドイツで勉強させていただける機会が与えられて、応援してくださる方々がいる事は本当に感謝です。ありがとうございます。

さて、やっと2015年のブログを書き終えられましたが、次回からいよいよ2016年の回想記に入ります!





11月 (2015年)の回想記 〜 癒しの時間 〜

日本は梅雨明けまであと一歩・・・という時期でしょうか。
梅雨明けは一番熱中症にかかりやすい時期だと聞いたことがあります。
くれぐれもご自愛なさってお過ごしくださいね。

さて、今回も遥か彼方の回想記、とはいっても今回は今まで以上に大したお話ではありませんが・・・今回は私の一番の癒しのひと時について少しだけ。


10月下旬にサマータイムが終わり、日本との時差も7時間から8時間へ。
太陽が空を留守にする時間も長くなってきました。
枯葉が落ちるのを見てはなんとも切ない気持ちになってしまいますが、ハンブルクは特に雲が重い日も多く、11月半ばにはついに雪も降り、冷え性の私にとってはなかなか堪えるそんな季節、気持ちもどんより。


11月、学校の練習室からの景色


そんな中、私の癒しの源、それは住んでいる部屋のお隣のお宅にしょっちゅう遊びに来る猫、その名も“フェリックス”です。

お隣さんが飼っている猫ではないのですが、遊びに来ては隣のお宅で泊まって行きます。餌ももらい、ふかふかなベットで寝させてもらう、なんて良いご身分・・・とも思いますが、会うといつも挨拶をしてくれるので、二言三言会話をします。

「フェリックス〜!」

「にゃ〜。」

「今日も遊びに来てたの〜?」

「にゃ〜。」

「こっちにおいで〜」

尻尾をピンっとたてて(ご機嫌の証拠)近寄ってきて、喉をゴロゴロ。

ある日には、玄関を開けたら・・・
うちの前にいらっしゃいました。


フェリックスに会えた時の1日、なんだか得をしたような、幸せな気分が続きます。
お隣の旦那さんともたまにフェリックスの話題で立ち話をするのですが、フェリックスという言葉はラテン語で「幸福」という意味なんだよ、と教えてもらいました。お隣さんはしょっちゅう玄関前の階段で猫のおもちゃを投げてフェリックスと遊んでいます。


家の外でフェリックスに会う時もあります。
通りがかったどこかのおじさんが、「フェリックス〜!」と声をかけ、しばらくの間撫でていきます。フェリックスは皆に”幸せ” を運んでくれる猫なのです。

しかし、”フェリックス” と聞くと、中学時代のある理科のテストを思い出します。
そのテストの問題で、正解の回答は”始祖鳥”だったのですが、なぜか“フェリックス”と回答した生徒が続出。ちょうどその時期に合唱コンクールの練習真っ只中で、「不死鳥 〜フェリックス」という合唱曲を皆毎日練習していたせいで、頭の中が影響されすぎて、理科のテストの答案用紙に皆こぞって”フェリックス”と書いてしまった、という嘘の様な本当のお話。今思い出しても笑ってしまいます。

余談でした。


そしてもう一つ、もっと大切な私の癒し時間。

それもまた猫!

何度もすみません。

たまに家族とスカイプでテレビ電話をして近況報告をします。その時は必ずと言っていいほど、毎回我が家の猫たち(おじいちゃんでとことんマイペースなミカエル、ちょっとおデブちゃんでシャイな女の子ララ、末っ子わんぱくで勢い激しいジョイの3匹。(全て拾い猫です。) )に家族に頼んで対面させてもらいます。

ある夜、スカイプ越しにジョイに話しかけてみました。



「ジョイ〜。」


「・・・。」
無反応。



「ジョイく〜ん!」

「?!」
ちょっと反応。



「ジョイくーん!!!」

「・・・?!」
スチャっと立ち上がり、


「ジョイくーん、こっちだよ〜!!!」

「??!」
凄く反応。


その後、音がどこから聞こえてくるのか周りをウロウロ。

なんなの?だれなの?どこからなの!?


この辺から何か呼ばれてる気がするんだよな〜、と考える。



・・・・・。

(因みにジョイの首輪はドイツからのお土産です。
魚の形のチャームと鈴がついています)


こんな感じで、癒しのスカイプタイムをしています。

でも残念ながら、直接会わないと彼らと会話は難しいのですが、ハンブルクの憂鬱なお天気でも鬱にならなかったのは、この猫達との癒しの時間があったからと言っても良いでしょう。

本日はなんと“猫” だけの話題になってしまいましました・・・失礼致しました。
次回は12月、クリスマスシーズンの回想記です。(季節外れ、ご了承ください。笑)


〈 おまけ 〉

11月下旬、父から送られてきたジョイの寝姿。
彼がどうやって呼吸をしていたかは不明です。