8月の出来事 その② 《ベルギーへ》前半

早いもので2015年も残り1日となりました。
今年はなかなか順調にブログが書けなかったので、今年は8月の出来事を書き終えて2015年が終わりそうです。
またマイペースに随時更新していけたらと思っています。
しかも今回は "8月その②の前半"。
あぁ、何てややこしい・・・私自身もそう思います。
一気に今回 "その②" を書こうと思ったのですが、あまりにも書きたいこと、アップしたい写真がたくさんあって、結局ベルギー2回、オランダ1回の計3回に分けて書くことにしました。
とは言うものの、今日は12月30日で明日がジルベスター。街中ではジルベスター用の花火が、フライングで打ち上がっている音がバンバン聞こえますが、そんなのお構いなしに、夏真っ盛りの8月のことを書こうと思います。


8月の中旬にあったリューベックのマスタークラスの終了日の前日から、高校時代の同級生がドイツに遊びに来ていました。リューベックで久しぶりに再会し、マスタークラス終了後、ハンブルクに帰り一泊。少しハンブルクを観光したあと、ベルギーとオランダへ旅行に行きました。
アムステルダム空港は乗り継ぎで何度か使用しましたが、今回街中に出るのは初めて。
ワクワクしながらハンブルクを出発しました。
ハンブルク空港から飛行機でアムステルダム空港へ。その後、タリスというフランス・ベルギー・オランダ・ドイツを結ぶ高速列車に乗ってブリュッセルへ向かいました。
ハンブルクからブリュッセルまでの直通の航空券が高くて手が届かなかったので、今回はハンブルク→アムステルダム乗り換え→ブリュッセル→アムステルダム(最終日にアムステルダムで友人とお別れ。友人は成田へ、私はハンブルクへ)という流れでした。

アムステルダム空港からタリスに乗り換える時に、第一のハプニングが私たちを待ちかまえていました。インターネットで既に購入していたチケットのはずだったのですが、肝心なプリントアウトのページを間違えていて、カウンターで提示してもこれでは無理、と断られてしまい・・・なんとかカウンターの係員に私のメールボックスを開いてもらって、プリントアウトをしてもらい、なんとか正式なチケットを入手。
アタフタしていて周りなんて見ている余裕なんかないのに、カウンター付近で見知らぬ外国人の方から「君たち日本人?」と声をかけられて、話を聞くとどうも格闘家の方とのこと。日本にもうすぐ試合で行く、と言っていました。魔裟斗とも対戦したことあるんだぜ。と言われましたが、はぁ、そうですが、楽しんでください、、、と返すので精一杯。
果たして、あれはどちら様だったのでしょうか・・・。

ま、いっか、と思っていた矢先、もうひとつ問題発生。
出発時間が予定していた時間と違うということに気がつき、カウンターの人に何度聞いても違う出発時間を言われて、全然最初は理解できず。もう全然話が通じない!とスーツケースをゴロゴロ飼い犬のように引き連れまわしながら、あっちに行ったりこっちに行ったり。出発時間は刻々と迫ってきていたので、もう一度インフォメーションのお兄さんに聞くと、やっとこさ詳しく教えてくれました。
私たちが調べていた出発時間はアムステルダム空港よりひとつ手前の駅の出発時間で、アムステルダム空港にその列車が到着するのは数分後。
道理で時間が合わないはずでした。それにしてもお兄さんの説明も、時刻表もすごくわかりずらく、もともと私たちが間違っていたとはいえ、お兄さん、最初からそう説明してくれたら良かったのにぃ〜!と友人と叫びながら慌てて走って乗り場のホームへ。
乗るべきタリスがホームに入ってきた姿をみて、長年待ち続けた憧れの方にお会いできたかのような高揚感と安堵感でした。(ちょっと誇張しすぎですかね。)

なんとか無事にパリ方面のタリスに乗車して、車内でなぜかお寿司を食し、ブリュッセルに到着しました。
因みに、後日知ったのですが、このタリス、私たちが乗った3日後に車内で発砲事件があり、ニュースを聞いて冷やっとしました・・・。
やっと乗車できたタリス。
この乗車がホームに入った時には本当にホッとしました・・・アムステルダム駅にて。
タルスの車内で食べたランチ。なぜかお寿司。
ただし海苔巻きではなく生春巻き。
緊張が解けてホッとした時、人は故郷の味を欲するのでしょうか。
ブリュッセル到着のホームにて

タリスの先頭。
ブリュッセル駅にて

ブリュッセル駅に着き、道に迷いながらも無事にホテルに到着。
ホテルはブリュッセルの中心街にあり、ギャルリーサンチュベールという1847年に建造されたヨーロッパ最古のショッピングモールに徒歩3分程の場所だったので、とても便利でした。
その日の夜と次の朝、ギャルリーサンチュベールを通りましたが、天井はガラスでできていて、日中は太陽の光でとても明るく、ベルギーのチョコレート屋さんや刺繍屋さん、雑貨屋さんなどが並んでいて、とても素敵なショッピングモールでした。
ギャルリーサンチュベール。現実ではないような、素敵な空間でした




ガラスの天井から空が透けて見えました。
ジブリ映画の世界の様でした。



レースのお店。


色々なレースがあり、どれも素敵でした。


チョコレート屋さんは、これでもかというほどにチョコレートが山積みになっていて、もう見ているだけでお腹が一杯に・・・。甘党の友人は大変喜んでおりました。




ブリュッセル到着日の夕飯は、ベルギーならではのムール貝のココットを食べに、ブリュッセルで一番有名なシェ・レオンというお店へ。
ずっとムール貝のココットを食べるのが細やかな夢だったので、今回一つ美味しい夢が叶いました。
パクパク夢中になって食べていると、隣のスペインからの親切な旅行者からムール貝のココットの食べ方を伝授され、新発見、そして美味しく完食。


ムール貝のココット。いつか自分でも作ってみたいです。


ペロリと完食。
外のテーブルだったので、この景色を見ながらムール貝を頬張りました。


その後、腹ごしらえに徒歩ですぐの場所にあったグラン・プラスへ。
グラン・プラスはフランス・ロマン主義の詩人であり小説家のヴィクトル・ユゴーが世界一美しいと絶賛した広場で有名です。1998年に世界遺産に登録されていて、広場には市庁舎や"王の家"(実際に王が住んだことはないらしいですが・・・。)と呼ばれるどっしりとした建物が多く並んでいました。とても素晴らしい広場でしたが、後々色々と調べてみると、ここで1523年にプロテスタントの最初の殉教者がここで火あぶりの刑になったのだとか・・・。歴史は恐ろしい・・・。


広場に近づいていくにつれて、大きな市庁舎の天辺が見えてきました。


道にあったマンホール。悪魔を踏みつけている様子から、恐らくブリュッセルの守護天使である大天使ミヒャエルだと思われます。だいぶ磨り減っていました。


ブリュッセルの市庁舎。1402〜1455年の間に建設されたそうです。
天辺にはブリュッセルの守護天使ミヒャエル像が飾られてありました。


市庁舎の向かいにあるギルドハウス。ギルドとは中世から様々な商工業者の間で結成された職業別組合のことで、各家の入り口にはそれぞれの職業を表す紋章が見られました。因みに中央の建物、左から二番目の一番上(画家の家と呼ばれているそう。)にかつてヴィクトル・ユゴーも住んだことがあるそうです。


王の家。1985年に改築されて今では市立博物館になっています。


中央はビール醸造業者の家で、天辺には馬に跨った戦士がいました。
これも恐らくギルトの紋章でしょうか。

2日目はブリュッセルから電車で足を伸ばしてゲントという東フランドル地方の古都へ。(中世にはブルージュと交易の街として張り合っていたそうです。)
ゲントとはケルト語から来ている「合流する」という意味で、ここでレイエ川(フランスとベルギーを流れる川)とスヘルデ川(フランス北部、ベルギー西部およびオランダ南西部を流れ北海に流入する川)が合流する事から名付けられた地名のようです。
ゲントの中央駅であるセント・ピータース駅から徒歩でテクテク街中に歩いて行きました。


セント・ピータース駅。
旧市街に入ると最初に目に飛び込んでくるのは大きな聖ニコラス教会です。聖ニコラス教会は11世紀にかけ建設が始まり、13世紀に完成したスヘルデ・ゴシック様式(ゲントを流れるスヘルデ川に因んだ呼び名だと思われます。)の最高傑作といわれる教会です。この教会はゲント商人の富と文化の高さを象徴する教会だそうです。相当な発展だったのでしょうね。

旧市街を歩いて行くと、聖ニコラス教会が見えてきます。


聖ニコラス教会は、少し青みがかった石から造られていて、ずっしりと巨大で、写真に収まりきらない大きさでした。
聖ニコラス教会の内部。




説教台の下から見上げると、体が後ろにひっくり返ってしまうかと思うほど天井が高くにありました。 


天井の前方部分。

さらに先に進むと、ゲントの鐘楼がそびえ立っていました。ゲントの鐘楼はゲントを象徴する3つの建物(聖ニコラス教会、聖バーブ大聖堂、ゲントの鐘楼)の中のひとつで、1314〜1338年(途中戦争で工事が遅れ、1380年に完成)にギルドによって建てられた塔だそうです。当初は宗教的な目的で鐘が鳴らされていたそうですが、徐々に市場の開場を知らせる鐘、外からの攻撃を伝える警報、時報としても活躍したそうです。これも世界遺産に登録されいる建造物です。



高さは91メートルあるそうです。
晴天の空に向かって誇らしげにそびえ立っていました。



ゲントの鐘楼を背景に

ゲントは街中も本当に可愛らしく、素敵な街でした。

大きい(大きすぎる?)犬もいました。乗れそうです。


馬車もパッカパッカと音を鳴らしながら通り過ぎていきます。
この線路は路面電車が走ります。後方に少し写っていますが。


こんな晴天だと全然売れないだろうな、と思った可愛い傘屋さん。


レイエ川(フランスとベルギーを流れる川)
私だったらどこに住みたいかなぁ、なんていう想像も膨らみます。
でも、よく見ると右のお家は恐らく廃屋です・・・。


中世を思わせる様なドアノブ。




そのドアノブを発見した扉のガラスにはフランドル伯の城が映っていす。
このフランドル伯の城、レイエ川が2つに分かれる西に位置し、
城壁はもともとバイキングの侵入を防ぐために作られたそうです。
裁判所→造幣局→牢獄などを経て、現在では拷問道具が展示されている博物館になっているそうです。
あぁ、中に入らなくて本当に良かった・・・。

フランドル伯の城
入り口まで入って、引き返してきました。


可愛いお店も沢山ありました。ウィンドウショッピングしている女性の洋服も可愛かったです。




またまた街中で可愛い子を発見。
飼い主の方に写真撮って良いですか?と尋ねると、満面の笑顔で「どうぞ〜!」と返ってきたので激写。
この子は何を考えていたのか気になります。


ベルギーワッフル。
これはもう太る事間違いなしです。この日だけ特別(?)


街中の橋の上からの一枚。
街中を散策していると、なにやら昔の衣装に身を包んだ人たちに出会いました。
何かお祭りでもあるのかな、と思っていたら、映画撮影していました。
映画撮影のおかげで、渡りたかった聖ミカエル橋は封鎖されていて渡れず・・・。
 
聖ミカエル橋を封鎖して橋の上で映画撮影しておりました・・・。
この橋、渡りたかったな・・・。




仲良くランチタイムの馬車の馬と鳩たち


街中を散策した後、聖バーブ大聖堂を見学しました。ここには初期フランドル派のフランドル人のファン・アイク兄弟の描いた祭壇画「神秘の子羊」がある事で有名な教会です。兄のフーベルト・ファン・エイクが生前にこの絵を完成できず、弟のヤン・ファン・エイクが引き継いで兄の死の6年後の1432年に完成させたそうです。絵画史的には、本格的油絵の世界最初の作品とのこと。絵は有料スペースで撮影禁止だったため残念ながら写真はありませんが、赤や緑などの色がとても色鮮やかで、登場する人物が身につけている装飾品等の細部までもが丁寧に描かれてあり、興味深い絵でした。更に絵描きの気持ちになってみると、これを書いて相当肩も凝っただろうな、なんていうくだらない心配もしておりました。

聖バーブ大聖堂(外観は工事中でした)
内部も立派な佇まいでした。


聖バーブ大聖堂の天井の一部。




礼拝堂のパイプオルガン


オルガンのボタンの数に驚きました。


なんだか宇宙船のコックピットのようでした。




ステンドグラスには色々な聖書の物語や宗教的なストーリーが描かれていました。
当時は、字の読めない民衆も、この絵を見ながら内容を知ったのでしょうか。


実はこの日の目的地はブルージュで、ゲントはその行く途中、ついでに寄る予定だったのですが、予想以上にゲントが大きな街で、観光場所も沢山あってかなり時間がかかってしまいました。もっとゆっくり観光したいという気持ちに蓋をして(とはいうものの大分周りましたが)、憧れの街、ブルージュに向かいました。

ブルージュ(ブルッヘとも言う。色々な読み方があります・・・)はベルギー北西部に位置し、名前の由来は「橋」から来ているそうで、その由来の通り、運河が町中に張り巡らされていて沢山の橋がありました。(因みにドイツ語で「橋は」Brücke  ブリュッケ。)

ブルージュは「北のベネチア」「屋根のない美術館」ともいわれる中世の古都で、とにかくどこを見渡しても全てが絵になってしまうほど素敵な景色が広がっていました。ここの街も世界遺産です。
ゲントで時間を割いてしまって、ブルージュに着いたのがなんと16時を過ぎ。観光の小舟乗り場はもう閉まってしまって乗れないかもしれない。。。と諦めかけていたのですが、ラッキーなことに一つまだ運行している乗り場を発見。
無事に乗ることができました。

ブルージュの運河散歩に行く直前。左手後方には13〜15世紀に建てられた聖母教会。この中にミケランジェロの聖母子像があったのですが、すでに閉まってしまっていて見られず。残念でした。


こんな感じで運河を巡りました。真ん中の後方にはブルージュのシンボルの鐘楼。47個のカリヨン(組み鐘)が15分ごとに時を知らせます。なんだかちょっと斜めって建っているような・・・。
斜めっている建物は色々なところで目にしました。
地震がないからなんとか保っていられるのでしょうかね・・・。


小舟の出航直前に出会ったカモ。
このカモ、クリクリしたお目目で、とても人懐こく、好かれてしまいました。


右手奥に進んで行きました。




運河を巡っている最中に出会った犬。
この子はここが日常の定位置だそうで、観光のスポットのひとつになっていました。
舟で聖母教会の前を通過しました。




街中はこんな感じ。とても可愛らしい街並みでした。
ただし、かなり人気の街で観光客もいっぱい。
ここからも後方には鐘楼が見えました。


レースの産業都市としても有名なブルージュ。
お店の中にはとても高価なヴィンテージものもありました。






ブルージュの薬局屋の看板と鐘楼
ブルージュのマルクト広場。
クッキーでできたお菓子の家のような可愛らしい建物が連なっていました。

この日は夜9時過ぎにブリュッセルに帰って来ました。
ブリュッセルでの夕食はオー・ザルム・ド・ブリュッセルというレストランで、ベルギー料理のBeef Carbonnade(牛肉のビール煮込み)を食べました。日頃は鶏肉以外、あまり食さないようにしているので、久しぶりのがっつりお肉。少々胃がもたれましたが、美味しかったです。



お腹一杯、歩き回ったので身体もクタクタ。
ホテルへの帰り道、ブリュッセルは日本人観光客が多いこともあって、日本語で色々なお店の人から声をかけられましたが、眠いのでひたすらまっすぐホテルに直行しました。

〜 《ベルギーへ》後半へ続く 〜

8月の出来事 その①《マスタークラス in シュレースヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭 》



ハンブルクのシンボルともいっていいミヒャエル教会。
雪の降る日に。

師が走ると書いて「師走」。
師でも何でも無い私ですが、毎日色々と走っております・・・(これは12月に限った事ではありませんが。)

12月といえば!待ちに待ったクリスマスがもうすぐそこまでやってきました。(とはいうものの、今年は物凄くあっという間に12月になってしまい、心の準備もないままにもうクリスマスを迎えそうですが。。。)
日本は仏教国でありながら、クリスマスもイベントの一つで、更に新年もお祝いするので、とても忙しい国だと思います。ドイツは新年よりもクリスマスの方に重きが置かれています。クリスマスに向けてアドベント(イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)が既に始まり、巷では4本セットのロウソクがあちらこちらで売られ、今年は11月29日日曜日が第一アドベント、12月6日が第二アドベント、12月12日が第三アドベント、そして12月20日がいよいよ第四アドベントです。第一アドベントから一本ずつロウソクを灯していき、第四アドベントには4本全てのロウソクが灯ります。ブログをアップする今日がその第4アドベントの日曜日でした。ということで、今日ついに4本のロウソクに火が灯りました。ロウソクの揺らぎながらも上に上にと燃える炎を見ると、心に火が灯るような気分になります。



そしてついに雪が降りました!といっても降ったのはたった1日だけ降って、また少し暖かくなって、今現在はさらに生ぬるい気温が続いています。なんと、、、街中の桜の花が勘違いして花を咲かせていました・・・。異常気象ですね。
でも、雪の降る日は本当に美しく、今年も雪景色が1日でも見られて幸いでした。

走る電車からの景色
Blankenese駅
さて、8月は沢山の事があったので、2回に分けて書こうと思います。
第一弾は、8月頭から始まったマスタークラスについて。
毎年夏に北ドイツではシュレースヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭が開かれます。その一環でリューベック音楽大学で2つの声楽マスタークラスが開かれました。事前に音源審査があり、選ばれないとマスタークラスを受講出来ないので、どちらか1つでも受講できればと思い、今回先生と相談しても2つとも応募してみることにしました。

結果、ありがたい事に2つのマスタークラスを両方受講できるという通知を受け取り、リューベックに2週間滞在する事にまりました。ただ、一つ目のマスタークラスと二つ目のマスタークラスの間が1日しかなく、かなりの強行突破なスケジュールに、欲張って応募してしまったは良いけれど、乗り切れるかな・・・という不安もありました。というのも毎回マスタークラスは公開レッスンが殆どでもちろん緊張もしますし、歌っているレッスン時間は長くなくとも、考える事や課題が沢山あるので、楽しいながらも数日間でぐったりします。
そんな不安と期待を抱きながら、ハンブルク中央駅から電車で45分のリューベックへ2週間分の荷物をスーツケースに詰めて向かいました。

リューベックのシンボル、ホルステン門。15世紀に建造された城門。旧市街の入り口に建っています。
真ん中が地面に沈み込んでいますが、作り立て当時には既に重さで沈み込んでしまったそうです。因みにこれも世界遺産に登録されているそうです。



リューベックの旧市街は世界遺産になっている都市で(以前も書いたかもしれませんが。?)、ハンブルクよりも石畳が多くあり、転がしているスーツケースが壊れるかと思いましたが、なんとか無事にマスタークラスが準備してくれているホテルに到着。
しかし、、、用意されてたお部屋は5階。エレベーターなし。ホテルはユーゲントホテル(安い宿)なので、もちろんベルボーイなんていません。自分で5階までスーツケースを運ばなくていけなく、歌う前以上の気合をいれて5階まで運びました。
お部屋は広くはなく屋根裏部屋のような感じでしたが、一人部屋で(二人部屋の受講生もいました。)洗面所もついていて、窓からはJ.S.バッハも訪れたマリエン教会の2つの塔が見えるお部屋でした。マリエン教会(これも世界遺産)は1250年から1340年にかけて作られたゴシック様式の巨大な教会でドイツでは3番目に大きい教会、レンガ造りの教会の中では1番の大きさだそうです。(教会には後日訪れたので、教会の中の写真は2回目のブログで載せる事にします。)

窓から見えるマリエン教会の塔。ちょっと工事していましたが、この景色は気に入りました。
毎時間、この塔から時間を知らせる鐘が音楽と時間の数を打ちます。音楽はなんとも音痴で可愛らしいハーモニーで(音がくるっているのは古いからでしょう。)夜中の12時にも音楽を奏でた後にご丁寧に12回鐘がなります。住人の睡眠の妨げになっていないのか、、、と毎日思っていましたが・・・。


お部屋に着いてすぐ窓を見るとラブラブな鳩のペアが迎えてくれました。(笑)
なんとも仲睦まじい可愛いカップルでした。


 さて、1つ目のマスタークラスは、今年の5月にも一度受講した、マルグリート・ホーニヒ先生のマスタークラスでした。この先生はとても人気のある先生で、ホーニヒ先生曰く、今回かなり多くの応募があったそうで、選んでいただけたのはとてもラッキーでした。
受講生は、ドイツ人、スイス人、ブラジル人、ギリシャ人等、全部で10名。音大の学生からドイツ、スイスのオペラ劇場で歌っている歌手も参加していて、今回テノール以外の声種がいました。
 シュレースヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭 マスタークラスのポスター
リューベックらしい町並み。リューベック音大が右手にあります。
隣り合っている幾つもの建物の中を繋げて、ひとつの音大になっているので、中に入るとなんとも違和感のある不思議な構造で、中はもう迷路の様でした・・・。何度迷ったことか・・・。

ここのマスタークラスは、今まで受けたマスタークラスの中で一番受講生のレベルが高かったと感じています。1日目からレッスンが行われ、皆の演奏を聴いて、皆本当に素晴らしい歌手ばかり、私がここで受講していいのでしょうか・・・と思ってしまう程でした。声質も文句の付けようがないほど美声の歌手ばかりで、彼らのレッスンを側で聴講しているだけでも、とても勉強になりました。
レッスンは全日公開で、聴講にも沢山の方々が来ていました。私の声楽の先生、コレペティトゥアの先生もハンブルクからわざわざ来てくださり、他にも声楽の教える方に携わっている先生方(ハンブルク音大の教授陣)なども沢山お出でになっていました。

ホーニヒ先生のマスタークラスは2度目でしたが、今回も身体の使い方、呼吸の仕方をみっちりレッスンして頂きました。ただ、1人のレッスン時間が30分と短く、もう少し長いと嬉しいと思いましたが、それでも30分でもぐったりするほど、濃厚な30分でした。
ピアニストはフライブルク音大から呼ばれていたコレペティトゥアで、どんな歌い方をしても、すぐについてきてくれる素晴らしいピアニストでした。
今回はオペラアリアを中心にレッスンして頂き、上手く歌えた部分、そしてこれからの課題の部分とありましたが、フレーズの音型ごとに身体の使い方を使い分けるテクニックは、今回は2度目ということもあってより理解しやすくなったと感じました。
まだ克服するべき弱点がありますが、先生から教えて頂いたテクニックは一つの宝になりました。

マスタークラス会場のエントランス

マスタークラスの会場
マスタークラス風景


マスタークラス、最終日の打ち上げで他の受講生達と。

こうして1つ目のマスタークラスは終わりました。
一日休みがあったので、洗濯物をもってハンブルクに一度帰り、その日のうちにまたリューベックに戻って来ました。

次の日から、2つ目のマスタークラスが始まりました。
モーツァルト歌手で世界的に有名なソプラノ歌手、エディト・マティスのマスタークラスでした。受講生はまたガラッと雰囲気が変わり、ドイツ人、スイス人、韓国人、そして日本人の私の全8名。全員ソプラノでした。今回、"モーツァルトの作品"というテーマをマティス先生から出されていました。その他の作曲者の作品を見ていただいた日もありましたが、モーツァルトの作品を中心にレッスンして頂きました。
マティス先生のマスタークラスの最終日には修了コンサートがプログラムに組まれてあったので、そのコンサートに向けてもレッスンをして頂きました。
初日は前のマスタークラスを受けていたこともあり、連日の疲れが少し溜まっていましたが、なんとかレッスンを歌い終わると、まず一緒にいらしていたマティス先生の旦那さんから「あなたはとても素晴らしい歌手ですね。今回妻のマティスが、あなたにレッスンすることができてとても喜んでいます。」と声をかけて頂きました。
お世辞でもとても嬉しいです、と答えていると、すぐ近くにいたマティス先生も近くにいらして、日本語で「ホントデス!」とおっしゃって下さいました。
そのあと、声の質や音楽のことを大変褒めてくださり、嬉しい反面、初日から私のハードルが上がってしまって、疲労も溜まってきていたので明日以降大丈夫なのだろうか・・・という不安も感じたのは言うまでもありません。
しかし、マティス先生の旦那さんはとても親日家で秋には京都の旅館に泊まる予定だと、嬉しそうに話してくださり、毎日「加藤サ〜ン、オハヨウゴザイマス〜!」と日本語で話しかけてくださって、私のレッスン時間に合わせて、ホテルから駆けつけてくだっていたので、毎日励まされながら過ごしていました。

マティス先生のレッスンはホーニッヒ先生のレッスンとはまた違い、音楽的な解釈、表現方法を中心にレッスンしてくださいました。先生はもうだいぶご高齢と思いますが、先生がお手本で1フレーズ目の前の歌ってくださるその音楽は、本当に素晴らしく、ほんの短いフレーズなのに、ため息が出てしまうほど美しく、世界トップレベルの歌手のタレントに衝撃を受けました。真似しようとしても、早々簡単には行きませんでしたが、これもとても良い経験でした。
3日目あたりに、ちょっと雰囲気を変えようと、A.ヴェーベルンの歌曲をレッスンに持って行ったのですが、ヴェーベルンはマティス氏も旦那さんもお好きではなかったようで、一応レッスンはしてくださいましたが、終わってから旦那さんに「なんでヴェーベルンなんか歌ったの〜??ヴェーベルンは音楽ではない〜!」と言われました。マティス先生は以前ウィーン国立音大で教鞭をとっていらっしゃので、ヴェーベルンもウィーンの作曲家でもあるし、私も大学院の修了演奏と論文で取り上げた作曲家だったので、良いかな、と思ったのですが、好みは人それぞれですね。(笑)
でも、確かに、今は亡き恩師である朝倉蒼生先生から、「ヴェーベルンは全くわからないわ〜。あれはどう評価していいのかしら。」と仰っていたことを思い出しました。
シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクの新ウィーン楽派の中でも、ヴェーベルンは特に理解に苦しむ作品なのかもしれません。不協の様なハーモニーやメロディーもある所まで行くと、美しく感じるようになり、その音幅がクセになって面白いのですが。。。
ヴェーベルンの残した言葉、「少しでも私の音楽を理解してもらえたなら・・・。」という言葉も同時に思い出し、同情心さえ湧いてきました。

ということで、気をとりなおして次の日はまたモーツァルトの作品を持って行きました。
修了コンサートは受講生8人の中から先生に選ばれた受講生が演奏できるという事だったので、誰が歌わせてもらえるのだろうか、と思っていましたが、今まで長く歌ってきたモーツァルトのアリアを歌った時に、これを修了コンサートで歌ってください、とマティス先生から言われたので、なんとか修了コンサートに出演させていただく事に。

そしてマスタークラス中、忘れもしないある出来事がありました。
あるおばあさまからある日話しかけられたのですが、毎年、このマスタークラスに聴講に来ていらっしゃる方で、演奏を聴いて、毎年気に入った受講生の受講料を奨学金として代わりに払っているそうです。そのおばあさま、昔音楽教室の先生をしていて、その後スペインに移り住み、またドイツに帰ってこられたそうです。たまたま私のレッスン時に聴きにいらしていて、なんと今回の私の受講料をプレゼントしてくださいました・・・。でもなんとも申し訳ない気持ちだったので、事務所の方に伺うと、もう常連さんで毎年1000ユーロをこのマスタークラスに寄付しているそうで、後日受講料を銀行口座に返金します。とあっさり言われたので、今回は神様からのご褒美だと思って、ありがたく受け取らせていただくことにしました。
このようなマスタークラスの受講料がそのまま返ってくるなんて、人生初めてのことで、そして学生中でしたので本当に感謝でした。
しかも空き時間におばあさまが、今滞在しているお部屋に招待してくださり、コーヒーとマフィンをご馳走になり、ドイツ歌曲のテキストの読みの練習にも付き合ってくださり、大変感謝でした。友人に聞いた所、ドイツではこういう話はたまにあるそうで、その友人も違うマスタークラスを受けた時に受講料分の奨学金を頂いたと言っていました。
そういう方々のお陰で音楽家は成り立っているのだ、と改めて実感しました。

今回、同時期にバイオリンのマスタークラスも開かれていて修了コンサートはバイオリン、弦楽器の受講生と合同だったので、ジュリアード音楽院で勉強中のスウェーデン人のバイオリニストと一緒にモーツァルトの歌劇「Il Re Pastore 羊飼いの王様」より "L'ameròsarò costante"(彼女を愛そう、心変わりはしない) を演奏させていただきました。
マスタークラス in シュレースヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭は有名な演奏会なのか(マスタークラスを受けるまで全然知りませんでしたが・・・)、コンサートホールは一般のお客さんで満席。ただし、夏で暑いのにクーラーがないというドイツ特有の環境で、演奏者も汗だく、お客さんも汗だく、という忘れられない会場の空気でした。
私は2部に歌わせて頂きましたが、
演奏が終わると聴衆の方々が温かく拍手してくださり、とても充実した気持ちで演奏会を終えることができました。
コンサート終了後にマティス先生から「とてもよく演奏していましたよ。」というお褒めの言葉を頂き、私の中で名物おじさんになりつつある旦那さんからも「君の演奏後が一番拍手が大きかったよ。聞こえてた?」と嬉しそうに言われましたが、正直な所、緊張していたので全然聞こえていませんでした・・・。
その後はマティス先生、旦那さん、受講生で一つのテーブルを囲み、夜遅くまで語らいました。(韓国人の受講生は前日に帰ってしまったため、私以外は皆母国語がドイツ語。もうその喋る早さに、頭は途中から完全に飽和状態でしたが・・・。)
そして、この時一番印象にに残っている会話は、旦那さんから言われた一言。
私は「マティス先生の様に歌えるようになりたいです。」とお二人にいうと、旦那さんから「人はそれぞれ一人一人違うものだよ。人の様に歌うのではなく、加藤さんは加藤さんの歌を歌ってください。」とおっしゃって下さり、ハッとさせられました。
皆それぞれ違った器で神様から創造されているのだから、オリジナルの私で、私自身の声で、私の歌を歌う。これが一番なんだ、と改めて気がつかされました。
私には立派な声はなく、正直なところ、小さく細い声にいつもコンプレックスを持ち、オペラが楽々歌える声だったら何て良いのだろうか、と他の歌手を羨ましく思う気持ちがいつもありましたが、与えられた声と身体は変えることはできないし、いかに与えられたしかるべき場所で、自分らしい歌を歌うために、努力して自己と戦っていく事の大切さも改めて学びました。
すぐに忘れては思い出し、また忘れて・・・の連続ですが、また思い出して(笑)自分の心に刻んで、歌っていきたいと思います。

2週間のリューベック生活はこうして終わりました。
長かった様であっという間の2週間。素晴らしい経験をさせていただけた事に感謝します。

終演後、出演者と。
コンサートで共演したヴァイオリニストのPhilip Zuckermanと。
素晴らしい音色でした。

ピアニストのDieter Papier氏と。彼はウィーン国立音大で教えていらっしゃいます。
彼からのアドバイスは私にとってとてもためになりました。


マスタークラス終了後の打ち上げ、受講生、マティス氏、マティス氏の旦那さんと。

マティス氏、旦那さん、受講生と。

後日、インターネットの地元紙にこの修了コンサートの講評が載りました。
ありがたい事に、短いですが以下の様な講評を頂きました。ドイツでこうして書いていただけた事は、これからの励みになりました。

"Unter den großartigen Sängerinnen ragte die mehrfach ausgezeichnete Japanerin Mai Kato hervor. "(素晴らしい歌手陣の中で、日本人の加藤麻衣が抜きん出ていた。)
Das Regionale der Nord-Ostsee-Magazineより。http://www.luebeck-szene.de/news-blog-luebeck/news/luebeck-junge-elite-der-meisterkurse-stellte-sich-vor.html 


修了コンサートの演奏は以下のリンクからYoutubeで見られます。
(音質があまり良くないので、あらかじめご了承下さい。)




リューベックの夕焼け
とても良い街でした。




6・7月の出来事 〜 《いちごの季節、そしてオーディション》

気がつけば季節は12月に突入。
なんだか以前にも増して異常に日が経つのが早い気がする今日この頃です。
ブログもすっかり"回想記"になっていますが、この記事をアップするのは12月。今日書かせて頂く内容は6月と7月の事で、もうすでに半年前・・・。
しかし、思い出す、思い起こすという作業は忘れっぽい私にとってとても大切な事です。自分がその時何を感じたのか、何を思ったのか、何を反省したのか、何を学んだのか、何を問うたのか。と書くととても堅苦しい感じですが、自分に与えてもらった、経験させてもらった事を思い出す事、数えてみることは改めて「感謝」をする事につながります。上手くいかない事が沢山あって、すぐに消極的に考えてしまいがちになりますが、小さいことから大きい事まで自分に頂いた幸せを思い出して数える事は本当に大切だ、と最近改めて感じます。このブログを書かせて頂く事は、「感謝」を思い起こして書きためる、そんな作業のように思います。
とは言っても、そんなに立派な事は書けませんが、優秀ではない頭の中で記憶を辿ってみました。

ということで、まずはささやかな「幸せ」の思い出から。
6月(正確には5月頃から始まっていますが)といえば、私の大好物のいちごの季節です。
街にはいちごを売るいちご型の売店が目につき、パックに溢れるほどのフレッシュないちごが並びます。風にのって漂ってくるいちごの甘い香りを嗅ぐ度に買いたい衝動に狩られるのですが、毎度買っていては私のお財布が悲鳴をあげるので、我慢しながら2度だけ、贅沢に大きいパックで買って楽しみました。みずみずしくて、口に頬張ればそこはもうパラダイス。ただし、スーパーなどで買ういちごは見かけの赤さに反してびっくりするくらいに甘みがなく、いちごに「あなたは果物じゃなくて野菜ですか?」と問いかけたくなるほどです。
それでも、やっぱり日本のいちごが恋しくなるのは、その日本産いちごの素晴らしい甘み。日本のいちごは世界一のように思います。
ドイツ人はいちごやベリーを買って、ジャムにする方が多いように思います。


いちご型の売店。同時期に白アスパラも売られています。これもまた美味しいのです。

そして、初夏ということもあって、日差しはどんどんと強くなり、目の奥にストレートに飛び込んでくる光で目がチクチクする季節でもあります。日本の日差しよりも強いので、サングラスは必須です。(が、しょっちゅう携帯するのを忘れ、帰宅すると目の奥が痛いということも多々ありました。。。目薬も必須です。)



この時期になると、公園やお庭で日光浴をしたり、バーベキューをするのをよく見かけます。ドイツならではの大きいソーセージ、厚切り肉など、煙をモクモクと、香ばしい匂いもあたりに充満し、皆さんドイツビール片手に楽しんでいます。私も友人達と学生寮の庭に集まりバーベキューを楽しみました。

なんとも豪快な食事でした。


そして7月の前半は忘れもしないあるオーディションがありました。
NDR(北ドイツ放送)合唱団員のオーディションです。ドイツではまず書類(場合によっては音源も添付)を送り、書類選考後にオーディションの招待状が届き、はじめてオーディションが受けられるというのが一般的です。
書類選考で落とされ招待状がもらえない(アジア人は特に)、という事も珍しくありませんが、幸い招待が手元に届いたので、ドイツで初めてプロの団体のオーディションを受けに行きました。
NDR放送局は家からバスで30分のところにあったので、飛行機やICE(ドイツの新幹線)などを使って長旅をしなくてすみましたが、現地に着くなり、大きな敷地と、テレビ・ラジオ放送のバス等が目に飛び込んできて、守衛をくぐる時から胃がチクチクとしていました。それぞれの部門ごとに建物が建っており、NDR合唱団とNDRフィルハーモニーの建物は一緒。現地に着くと、書類選考で選ばれた歌手が7名、緊張の面持ちで待機していました。韓国人が一番多く、3名ほど、後はドイツ人でした。
係の方に「発声したいですか?」と聞かれたので、発声をさせてもらう事に。
案内されたお部屋はオーケストラ用のだだっ広いお部屋で、グランドピアノが無造作に置かれ、ティンパニーやハープ、団員の燕尾服、その他もろもろが雑然と置かれているお部屋で発声させてもらいました。この時、声の調子があまり良くなく、本番どんな声がでるのだろうか・・・と不安はありましたが、心配したところで何も変わらないので、このスタジオに来れただけでも良い経験だと思って今日は歌わせてもらおう、というような気持ちでした。
まずは1次選考。名前を呼ばれ、一人ずつスタジオに入っていき、自選の曲を歌いました。私の順番は一番最後だったので、ずいぶんと待たされたように思います。
Frau.Kato!(加藤さん!)と言われた時には、もう緊張もピークを達していましたが、スタジオに入る時に段があり、そこでコケそうになりながら入室。あたりを見渡すと、NDR合唱団のソプラノとアルトの団員が勢ぞろいで、指揮者の方とで審査員をしていました。こんなに多い人達に審査されることなど、今までになかったので、歌う前から心臓が口から飛び出るかと思いました・・・。
それでもなんとか笑顔で「Guten Tag!」と挨拶をすると、団員の方々がお返事してくれたので、少しホッとしながら、自選の曲を歌いました。1曲歌い終わると、部屋から出され、その場で待機。数分後、係りの方が出てきて、2次審査に進めるかどうかをその場で言われます。
スタジオの袖で他の歌手の歌声が聞こえていましたが、皆さんとても素晴らしく、楽々オペラのアリアも歌い上げていたので、「皆すごいな〜。。。」と思いながらスタンバイしていましたが、前の歌手たちが「Alles Gute!」(お元気で!)と言われ(これは次のラウンドに進めないという意味なのです。)不満そうに次々に帰って行く様子をみて、もう胃痛もピークに。
それでもなんとか再度「Frau.Kato!」と呼んで頂き、2次審査で歌えることに。2次審査でモーツァルトのオペラアリアが絶対当てられると思っていたのですが、「モーツァルトのモテットの1曲目か3曲目のどちらかを歌って下さい。」と言われたので、1曲目を選曲し歌い終わると、また部屋から出されてその場で再度待機。お部屋を入っては出されの繰り返しでした。
気がつけば今までいた歌手が2次審査止まりで誰も3次審査には進めなかった状況を目の当たりにして、私もここまでかもしれない。と不安でドキドキしていると、再度名前を呼ばれて、3次審査の為、また歌わせて頂ける事に。3次審査は合唱曲の一部、ヘンデルのメサイアのメリスマ(コロラトゥーラが盛りだくさんのフレーズの箇所)とシェーンベルクの音取りが非常に難しい作品(しかし個人的にはヘンデルよりも好きな作品でした。)を歌いました。ヘンデルのメリスマを歌っている時には、一緒に手足まで震え出し、もう自分自身がメリスマの音符にでもなってしまっているかのようでした。歌い終わった後またお部屋から出されるかな、、、と思いきや、そのまま新曲視唱(その場で新しい譜面を渡されて数分後にすぐ歌う事)に突入。その場で知らない楽譜を手渡されました。
新曲視唱のテストなんてものは、大学入試以来です・・・。当時はどちらかというと得意な方でしたが、どうやってやっていたかしら。。。と思うほど、月日がたって感覚が鈍っていて、学部入試当時は階名(ドレミファソラシド)だけで歌っていたのですが、歌詞付きでそのまますぐに歌う、というのには苦手意識があったので、指揮者に「階名で歌って良いですか?」と聞くと、テキスト付きでそのまま歌って、と言われたので、はぁ〜そうですか、、、と渋々テキスト付きで歌う事に。1曲目はラテン語の歌詞で、割と簡単な音型でしたが、2曲目は、難しい音程幅が何箇所もあり、しかも私の苦手な初見テキスト付き・・・(まぁ歌なので歌詞があるのは当たり前の話ですが音階で歌う方が断然私にとっては簡単なのです。)。
危なっかしいったらありゃしない・・・というレベルでなんとか指定された最後の部分に辿りついたものの、自分の余りの出来に、その場で譜面台に「はぁ〜っっ、ごめんなさい!」と突っ伏してしまい、完全に完敗して干上がっている私の姿に、団員の方々は皆さん大いに笑っていらっしゃいました・・・。
歌い終わると、指揮者から1曲目の1箇所音程が若干高いから、直してそこだけ歌ってみて、と言われて、少し低めに歌い直し、更に2曲目で、ドイツ語のテキストで1箇所、そこは繋げないで切って歌ってみて、と言われたので、その通りに歌い直し、その後またお部屋から出されて待機。
正直、この新曲視唱の出来では、恐らく落とされるな・・・。と思って最終結果を待っていました。最終結果を待つ間、上の階のスタジオではNDRフィルハーモニーがリハーサルをしていて、かなりダイナミックな曲目を練習していたので、その音楽がますます私の不安を掻き立てるのでした。そしてオーケストラが休憩に入ったのか楽器を持った人たちが私の前を通る度に「ハロー」と、いちいち(失礼。)笑顔で挨拶してくれるので、私は緊張の最中、スタジオの挨拶係りの様になっていました。

だいぶ待たされた後、合唱指揮者が出てきて、とっても良かったですよ!と言われ(え、あの出来でですか・・・?)となんだか申し訳なく思いながら少しお話しましたが(オーディションに関係のない話まで。)、最終結果はまた追ってご連絡します。との事でこの日のオーディションは終わったのでした。帰りのバスの中では、もう抜け殻の様にぽか〜ん、と座って帰路についたのでした。

その後、正式な書類が手元に届き、自由契約という形で雇ってもらえることになり、9月に2つのプロジェクトを頂き、初仕事をすることになりました。
とても緊張しましたが、この "場"を踏む経験を積まずには先がない音楽家の世界。
精神が鋼の様でなければやっていけない世界を改めて見せられ、今回、胃に穴が空かなくて良かった〜。というなんとも低レベルな安堵感に包まれて今回のオーディションは終わりました。それでも、今回こうした経験ができた事、胃に穴が空かなかった事は"感謝"の壺に貯められそうです。
NDRのプロジェクトについてはまた9月の出来事で書こうと思います。

北ドイツ放送局(NDR)の敷地内部。
目の前の建物の中には社員食堂がありました。


さて、もうすぐまたオーディションがあります。精神を鍛えて臨めるよう、美味しいものをたくさん食べて備えようと思います。

最後は日頃の小さな感謝の一つ一つ、日頃のパワー源の一部の写真で終わろうと思います。(今回は想定外に食べ物ばかりの写真になってしまいました・・・書いていてまたお腹が空いてきました・・・。)

初めてバター・砂糖を使わず、タルト生地から作ったりんごタルト。
気分転換の休日に"節約"という面目で。


説明を追加

お腹が空きすぎて勢いよく作ったココアクッキー。
1枚目 "勢い" が形に表れました。笑


今ドイツで流行りの、その名も"Kaki"。
因みにドイツ人はこれを皮ごと食べます・・・。ここは若干理解に苦しみます・・・。
柿を食べると祖母と昔保護していたメジロの事を思い出します。両者とも柿(特に柔らかくなった)柿が大好きでした。過去形で書いてしまいましたが、大好きな祖母は今も健在です。元気に長生きしてもらいたいです。

母に送ってもらった蕎麦でネギ蕎麦を。至福のひと時でした。

日本人の友人との会話中に餃子の話題になり、どうしても餃子が食べたくなったその晩、皮からせっせと手作り。キッチンで粉だらけになりながら作る私の姿に同居人のドイツ人から何作ってるの?!と怪しまれながらも御構い無しに作りました。ちょっと皮が厚めで形も悪いですが、とっても美味しくできました。その日の内に15個を完食。




Bioスーパー(有機農産物、有機加工食品を売っているスーパー)で、普段は高くて買えないお肉(ひき肉)が半額になっていたのでその日は上機嫌で贅沢にハンバーグを作りました。Bioのお肉は味が全然違いました・・・恐らく良い環境で飼育されたお肉なのでしょう。今まで食べた中で一番美味しいハンバーグに仕上がりました!


そして最後に。先日高校の同級生から嬉しい日本食が届きました。
ドイツではなかなか貴重なものばかり。本当に感謝です♪