さて、今回は10月の出来事を書かせて頂きます。
2014年10月の半ばから、ハンブルクでは秋休みがあったので、初めてチェコを訪れました。
ハンブルク空港から空の旅を楽しむ事約1時間半、あっという間にプラハ空港に到着しました。ヨーロッパは、隣の国に本当に簡単に行ける事を改めて実感。
プラハは生憎の曇りで、ハンブルクに比べてかなり気温が低かったので、慣れるまでに少し時間を要しました。
ハンブルク空港で、プラハまでの飛行機。 |
機内からの景色。 |
プラハの空港に着くなり飛び込んで来たのは、空港内の至る所にある道しるべのインフォメーション表示にあったハングル文字!日本語もあればいいのに〜と思いましたが、数年前から韓国とチェコが提携して直行便が出ているとの事で、韓国からの観光客がぐっと増えたそうです。お隣の身近な国とは言え、全くハングル文字は読めないのですが、ドイツ語も書かれてあって安心しました。それにしてもチェコ語といったらもう。。。表記から発音までチンプンカンプンです。
友人とガイドブックにあった挨拶と “ ありがとう ” を覚えようとしましたが、カタカナで発音が表記してあるままに発音しても全く現地の人には通じず。耳をすまして現地の方の喋っているのを聞いて3日目くらいで、やっと発音できるようになりました。(たった2つの言葉なのになんて遅い習得でしょうか・・・。)
気心のしれた友人との旅行でしたが、皆チェコは初めてだったので、街を移動するにもガイドブックの地図が手放せず、道で立ち止まって迷っていると、至る所で声をかけて助けてくれる方々がいて、本当に親切な国でした。
初日 − プラハ。
2日目 – チェスキークルムロフ
3日目 – プラハ
最終日 – 帰独
プラハの街は街全体が世界遺産になっている事もあって、どこをとっても絵になる風景は、ずっと見ていたくなる風景でした。有名なカレル橋はもの凄い人で溢れていましたが、橋の両側に経つ聖人達の像がとても印象的で、その中には日本にゆかりのあるフランシスコ・ザビエルの像もありました。
2日目 – チェスキークルムロフ
3日目 – プラハ
最終日 – 帰独
プラハの街は街全体が世界遺産になっている事もあって、どこをとっても絵になる風景は、ずっと見ていたくなる風景でした。有名なカレル橋はもの凄い人で溢れていましたが、橋の両側に経つ聖人達の像がとても印象的で、その中には日本にゆかりのあるフランシスコ・ザビエルの像もありました。
ヴルタヴァ川にかかるプラハ最古の石橋を渡ってプラハ城に向かいました。 両脇には30体の聖人の像が並んでいました。 |
カレル橋から。左奥に見えるのがプラハ城。 |
カレル橋に立つ聖フランシスコ・ザビエルの像。 左下で支えるのは日本人(東洋人?) の様だとのこと。 |
プラハのシンボルでもあるプラハ城までの道のりは、どこまでも続く石畳の道を歩いて、更に果てしなく続く階段を登らなければならなかったのですが、訳あって一日に何往復もする結果に。この数日で一気に筋肉がついたのは間違いありません。
プラハ城の中には、聖ヴィート大聖堂、旧王宮、そして小説家カフカの家がある黄金小路があり、1日ではとても周りきる事ができない程、見所が沢山ありました。
カレル橋を渡り終えてひたすら歩きました。 |
どこからこの石を持って来るのだろう、、、 と思うくらいにいつまでも石畳の道。 |
石畳のうえ、更に続く坂道。 ヒールでは絶対に歩けません。きっと石畳の間にかかとがハマる事間違いなしです。 |
登る階段の途中からのプラハの街並。 ここからでも十分に良い景色でした。 |
プラハ城正門。 悪い人間はこの門を通る時に、左右上方の「戦う巨人たち」に捕らえられてしまうとか。 くぐる前はドキドキしました。日頃から良い行いをしなければ・・・笑 |
門の上にはマリア・テレジアの飾り文字がありました。 |
正門の脇に立つ衛兵。 この兵服は、モーツァルトが描かれた映画《アマデウス》の監督のデザインだそうです。 彼の身体で動きが確認できるところはカメラを構える観光客を追う目だけでした。 |
聖ヴィート大聖堂。プラハを代表するゴシック建築の教会。 聖堂の中にはアールヌーヴォを代表するチェコの画家ムシャのステンドグラスがありました。 |
聖ヴィート大聖堂の正面のドア。 この一枚にこの大聖堂の歴史が全て描かれているそうです。 |
プラハ城敷地内の黄金小路にある青いカフカの家。 (とはいえ、常に住んでいた訳ではなく、1週間に数日(恐らく週末?))だけ住んでいたそうです。 とても小さいお家でした。 |
カフカの家の内部は今は売店になっていました。 |
黄金小路の家々の2階部分の通路には、鎧がずらり。 当時この黄金小路は鍛冶場がここに集まっていたそうです。 でもここの鎧の広間は異様な空気が漂っていて、早くここから出たい気持ちで一杯でした。 早歩きで通り過ぎたのは言うまでもありません。 |
2日目は電車で3時間程移動し、南部に位置するチェスキー・クルムロフという街に日帰りで行って来ました。ただし、行きの電車は工事の関係なのかで、表示されていた目的地まで行かず、乗客は皆おろされて、途中からバス移動。初めての場所で言葉も通じずに不安でしたが、ここでも親切な現地の方々が助けてくれて、無事に目的地まで辿り着けました。チェスキー・クルムロフ、街全体が1992年にユネスコの世界遺産に登録されて、世界でも有数の美しい街、とガイドブックに書いてあったので、楽しみにして行きましたが、まさにその通り、絵本に出てきそうな、美しく、全てが可愛らしく、素敵な街でした。出来る事ならもう一度訪れたいくらいです。
チェスキークルムロフの駅 |
駅にあったインフォメーションの絵。 街全体は上から見るとこんな感じの街です。 |
街の入り口の橋と門 |
街の入り口の橋と門からの景色 |
郵便局。このマークはドイツも同じです。 |
街の雑貨屋さん。 |
このモグラのキャラクターはチェコ出身です。 |
チェスキークルムロフ城。 ボヘミヤ地方でプラハ城に次ぐ13世紀に建てられた大きなお城です。 |
チェスキークルムロフ城の塔からの景色。 |
城の堀には熊が飼われていました。 |
景色と一緒に。 |
どこを切り取っても絵になる景色に惚れ惚れ。 |
チェスキークルムロフのお土産屋さん。 とても親切な店員のおばさんが、そっとおまけをくれました。 |
可愛いものだらけで、全て欲しくなってしまうほど。。。 あまりにも可愛過ぎて買いたい気持ちを我慢するのは大変でした。 |
可愛い小物達。 |
2日目は夜にはプラハに戻り、3日目は朝から音楽家を巡る旅でした。
まず訪れたのは、チェコの作曲家A.ドヴォルザークの家。
現在は博物館になっていました。当時のドヴォルザークの生活が感じられる様なものも沢山展示してあり、ここから有名な作品が生み出されたのだと思うと、とても感激しました。
ドヴォルザーク博物館 |
左から順にドヴォルザーク若かりし頃からの写真 |
当時からある机 |
この顔が一番有名でしょうか? |
ドヴォルザークが使っていた眼鏡 |
当時の部屋の様子 |
ドヴォルザークの使っていた時計 |
ドヴォルザークの愛用したビオラ。 ヴァイオリンではない所が彼らしいと感じました。 |
ドヴォルザークの妻 |
ドヴォルザークと娘。 大作曲家も、父親の顔になってますね。 |
ドヴォルザーク博物館の前で。 |
ドヴォルザーク博物館の次に向かったのは、W.A.モーツァルトがプラハを訪れる際によく滞在していた館、ベルトラムカ(Bertramka)へ。
プラハはモーツァルトに非常にゆかりのある街です。W.A.モーツァルトの代表オペラと言っても過言ではない『ドン・ジョヴァンニ』の序曲がここで作曲されました。
モーツァルトがここで滞在し作曲していた、と思いを馳せるだけで、少しモーツァルトと近づけた様な気が、ほんの少しだけしました。(錯覚とも言いますが。笑)
ここ以上にモーツァルトゆかりの地は他にも沢山ヨーロッパにあるので、ヨーロッパにいる間に巡れられたら幸せだな、と夢をみています。夢の実現の為にはお金を貯めないとですね。
ベルトラムカまでの道しるべ。 街中でモーツァルトの名前を見つけるだけで嬉しくなりました。 |
ベルトラムカ入り口。 今はあまり観光客が来ないのか、閑散としていました。 |
ベルトラムカ 老朽化が激しく、メンテナンスは残念ながら行き届いていない気がしましたが、それでも、ここを度々訪れていたのかと思うと感慨深いものがありました。 |
庭にあったモーツァルトの像。 紅葉した 落ち葉と一緒に。 |
ベルトラムカでモーツァルトの軌跡を辿った後は、1787年10月29日に《ドン・ジョヴァンニ》が初演されたオペラ劇場、エステート劇場で《ドン・ジョヴァンニ》を聴いてきました。初演はここでモーツァルト自身が指揮をしたそうです!
オペラ劇場はそこまで大きい劇場ではありませんが、映画《アマデウス》のロケ地にもなった事でも大変有名です。
そしてここではオペラ《ドン・ジョヴァンニ》の他に、1791年に《皇帝ティトの慈悲》も初演されています。
外観はパステルグリーン、そして内装は青のベルベット、豪華な天井にはシャンデリアがあり素晴らしい佇まいでした。序曲がなるなり、この日に訪れたベルトラムカで作曲して、ここでモーツァルトが指揮をしたのか、と思うだけでも感激が止まりませんでした。
終演後はため息が出る程の満足感。演奏が、というよりもその場の空気に酔いしれた感覚でした。レチタティーヴォ(曲間のメロディー付きの喋りの部分。)の部分のチェンバロの方の演奏が素晴らしかったのが印象的でした。
(劇場での写真は後日アップさせて頂きます。)
そして今回は時間がなく、残念ながらスメタナ博物館には入れませんでしたが、プラハの街のカレル橋を見渡せる場所にあったので、前まで行ってきました。いつかまたプラハに来るチャンスに巡り会えた時は、ここを訪れようと思います。
今回、こうして少しばかりですが偉大な作曲家の軌跡を垣間みられた事は、今後の音楽を勉強する上で、大きな糧の一つになりました。
今回は写真も多く、長くなってしまいました・・・。
最後まで忍耐強く読んで下さり、ありがとうございました。
オペラ劇場はそこまで大きい劇場ではありませんが、映画《アマデウス》のロケ地にもなった事でも大変有名です。
そしてここではオペラ《ドン・ジョヴァンニ》の他に、1791年に《皇帝ティトの慈悲》も初演されています。
外観はパステルグリーン、そして内装は青のベルベット、豪華な天井にはシャンデリアがあり素晴らしい佇まいでした。序曲がなるなり、この日に訪れたベルトラムカで作曲して、ここでモーツァルトが指揮をしたのか、と思うだけでも感激が止まりませんでした。
終演後はため息が出る程の満足感。演奏が、というよりもその場の空気に酔いしれた感覚でした。レチタティーヴォ(曲間のメロディー付きの喋りの部分。)の部分のチェンバロの方の演奏が素晴らしかったのが印象的でした。
(劇場での写真は後日アップさせて頂きます。)
そして今回は時間がなく、残念ながらスメタナ博物館には入れませんでしたが、プラハの街のカレル橋を見渡せる場所にあったので、前まで行ってきました。いつかまたプラハに来るチャンスに巡り会えた時は、ここを訪れようと思います。
スメタナ博物館 |
スメタナ博物館の前で落ち着いた佇まいでプラハの街並を見ているスメタナの像。 像の背景はカレル橋とプラハ城が見られました。 |
今回は写真も多く、長くなってしまいました・・・。
最後まで忍耐強く読んで下さり、ありがとうございました。
おまけ。 ベルトラムカからの帰り道に出会ったねこ。 |
貫禄のある人相 (ニャン相)でした。 |