5月(2017年) Probejahr合格とウィーン公演

ウィーン旧市街の中心にそびえ立つシュテファン大聖堂。
屋根の模様はハプスブルク家の紋章です。世界では3番目に高い塔だそうです。
(ちなみに2番目はドイツの誇り、ケルン大聖堂。)


またまた久しぶりの投稿ですが、ライプツィヒにもそろそろ春がやってきます。
長く続いた暗い憂鬱な時期が終わると思うと、心底ホッとしています。
今年の冬は超えるのが辛かった、、、とにかく曇り日和が続きお日様と会えないので気分も体調もいつも沈んでいる感じ。私だけかと思いきや周りもそんな感じで、いっその事冬眠してしまいたいと思ってしまいました。
いやいや、働かねば。。。人間だもの。

さて、今回も大昔の回想記録ですが今回は2017年5月の出来事を。

MDR放送合唱団で働き始めて早10ヶ月、ついにProbejahr(お試し期間)の合否が出ました。ある日の仕事休憩中、私だけ練習ホールから出るように指示があり、ソプラノ団員全員で私を団員に正式に受け入れるか否かの話し合いが設けられました。Probejahrの合否は自分の属するパートの同僚全員が審査員なのです。
これまで無欠勤で臨み、やるべき事はやってきたという自負がありましたが、やはり団員とドイツ語でのコミュニケーションの心配もあり、どういう結果がでるのか心臓がドキドキしていましたが、休憩後に口頭で 「マイ、合格よ!」とのお達し。団員が拍手してくださり、はぁ、良かった。。。と安堵の瞬間でした。
そんな安堵の後にウィーン公演がありました。ある同僚から、”ウィーン公演の前に良い結果もらえて良かったね。これでご機嫌でウィーンに飛べるね!”と言われたのを覚えています。

今回の公演はブーレーズの作品で女性合唱のみの作品でした。
ブーレーズといえば、修士の時に勉強し、当時参考資料として購入したたアントン・ウェーベルンのCDの音楽監修をしていた方というイメージしかありませんでしたが、これがまた音録りの大変な曲で、何回通しても合っているのか間違っているのかさえよくわからず、いつも頭の中ははてなマークいっぱいでしたが、なんとか本番までには慣れてくるものですね。しかも不思議な事に、こういう類の作品は慣れてくれば慣れてくる程、くせになってくるから不思議です。
演奏会ではウィーンの合唱団と合同でしたが、なんと私のハンブルク時代の師匠の同級生が歌ってらして、お会いする事もできました。
空き時間には散策もでき、満喫したウィーン滞在でした。

ウィーンコンサートハウスでの本番でした。
それにしてもこの楽譜....やっぱり当分は再会したくない作品です。笑

滞在していたホテルから徒歩数分のところにあったベルヴェデーレ宮殿。
クリムトの絵などを見る事ができました。
冒頭にアップしたシュテファン大聖堂の内部。
ハプスブルク家代々のお墓があるだけでなく、モーツァルトの結婚式、お葬式が行われた場所でもあるそうです。

シュテファン大聖堂の屋根。

シュテファン大聖堂の塔に登った際、壁で見つけた落書き


世界で一番美しいと称される図書館 プンクザール



プルンクザールの天井


こんな隠し扉の様なものもありました。
古い本が並んでいてタイムスリップした様な感覚でした。

ウィーン名産の刺繍”プチポワン”
買いたかったけれど高くて断念。。。

世界最古の馬術学校”スペイン乗馬学校”の前を通ったら白い馬が顔を出していました。
ウィーン国立歌劇場と路面電車
歌劇場でバレエ”白鳥の湖”も鑑賞してきました。
ただ、立ち見席だったのでかなり辛かった、、、。
でもなんと破格の3ユーロ!!
ウィーン国立歌劇場のホワイエ。とても煌びやかでした。
ホワイエにあるリヒャルト・シュトラウスの像

ホワイエの天井
どこを見ても煌びやかでした。
勿論モーツァルトハウスにも寄ってきました。
ここはモーツァルトが1784年から1787年まで住み、フィガロの結婚を作曲した事で知られています。
モーツァルトが住んでいた時代、家の中でも冬は死ぬほど寒く過ごすのも大変だったそうです。




ウィーンで出会った素晴らしく美味しいケーキ。
ドイツではなかなか出会えません。
日本のケーキを思い出しました。
もちろんウィナーシュニッツェルも頂きました。

ウィーン市庁舎

旧市庁舎までのフォルクス公園(市民公園)。
もう終わりの時期でしたがまだバラが咲いていました。



市民公園ではアムゼルが気持ちよくさえずっていました。


 
ウィーン国立歌劇場の近くでほっこり






0 件のコメント: